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音について(太宰治)のあらすじ・登場人物

小説のなかの音を聴く

太宰治 1937年(昭和12年)1月 「早稲田大学新聞」

文字数
1,654字
読了目安
約3分
表記
新字旧仮名
種別
随筆

この作品について

太宰治が1937(昭和12)年1月、『早稲田大学新聞』に寄せた短い随想。文字を読みながら耳に残って離れない音について、シェイクスピア劇の戸を叩く音、近松の『女殺油地獄』の幟のはためき、西鶴の『好色五人女』の鈴の音などを例に、小説の中の音の効き目を語る。

あらすじ

文字を読みながら、表現された音がいつまでも耳にこびりつくことがあるだろうと語り手は書き出す。シェイクスピア劇の殺人の場面で、部屋の外から戸を叩く音がすると、人殺しは恐怖に飛びあがる。『女殺油地獄』では、与兵衛が女を殺して立ちつくすとき、端午の節句の幟が烈風にはためく音が聞こえて、与兵衛が可哀想でならなかった。『好色五人女』では、於七が忍んで行く夜、鈴につまずいて大きな音を立てる。扉の音でも作品によって効果は違い、女学校の無人の廊下で遠い扉が鳴る小説は人生の侘びしさを感じさせ、炎暑のアパートで扉が開閉を繰り返す英国の女流の短篇は、息もたえだえの思いだったという。ジョイスの『ユリシーズ』にも音がいっぱいだったと覚えている。音の効果的な使い方は世話物に多く、もともと下品なことだからこそ、いっそう恥かしくかなしいのであろう、聖書や源氏物語には音がなく、全くのサイレントである、と結ぶ。

冒頭部(原文より)

文字を読みながら、そこに表現されてある音響が、いつまでも耳にこびりついて、離れないことがあるだらう。オセロオであつたか、ほかの芝居であつたか、しらべてみれば、すぐ判るが、いまは、もの憂く、とにかくシエクスピア劇のひとつであることは間違ひない、とだけ言つて置いて、その芝居の人殺しのシイン、寝室でひそかに女をしめ殺して、ヒロオも、われも、瞬時、ほつと重くるしい溜息。額の油汗拭はむと、ぴくとわが硬直の指うごかした折、とん、とん、部屋の外から誰やら、ドアをノツクする。ヒロオは、恐怖のあまり飛びあがつた。ノツクは、無心に、つづけられる。とん、とん、とん、とん、ヒロオは、その場で気が狂つたか、どうか、私はその後の筋書を忘れてしまつた。

「音について」太宰治(青空文庫)

末尾部(原文より)

みな寝しづまつたころ、三十歳くらゐのヘロインは、ランタアンさげて腐りかけた廊下の板をぱたぱた歩きまはるのであるが、私は、いまに、また、どこか思はざる重い扉が、ばたあん、と一つ、とてつもない大きい音をたてて閉ぢるのではなからうかと、ひやひやしながら、読んでいつた。  ユリシイズにも、色様々の音が、一杯に盛られてあつた様に覚えてゐる。  音の効果的な適用は、市井文学、いはば世話物に多い様である。もともと下品なことにちがひない。それ故にこそ、いつそう、恥かしくかなしいものなのであらう。聖書や源氏物語には音はない。全くのサイレントである。

「音について」太宰治(青空文庫)

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