パンドラの匣(太宰治)のあらすじ・登場人物
療養所で綴る青年の新生
- 文字数
- 84,806字
- 読了目安
- 約2時間50分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
この作品について
太宰治が1945年(昭和20年)から翌年にかけて「河北新報」に連載した、書簡体の長編小説。肺を病んだ二十歳の青年「ひばり」が、「健康道場」と称する風変わりな療養所に入り、そこでの日々を親友への手紙につづっていく。厳しくも明るい道場の暮らし、個性ゆたかな塾生や助手(看護婦)たちとの交流、淡い恋心——敗戦直後という時代にありながら、絶望を退け、あくまで前向きに新生を生きようとする青年の姿が、軽やかでみずみずしい筆致で描かれる。太宰の作品には珍しい、明朗で健康的な希望に満ちた一編である。
あらすじ
肺を病んだ二十歳の青年「ひばり」は、「健康道場」と称する変わった療養所に入所し、そこでの日々を、親友の「君」に宛てた手紙の形でつづっていく。この道場では、患者は「塾生」と呼ばれ、看護婦は「助手」と呼ばれる。規律正しく、それでいてどこかからりと明るいその暮らしのなかで、ひばりは、寡黙で味わい深い「越後獅子」こと花宵先生、快活な助手の「マア坊」、そして心惹かれる助手の「竹さん」ら、個性ゆたかな人々と交わっていく。手紙には、道場の風変わりな慣習や、塾生仲間との軽妙なやりとり、竹さんへの淡い恋ごころ、そして病と向き合う青年らしい思索が、ユーモアをまじえて生き生きと記される。敗戦直後の混乱の時代にありながら、ひばりは絶望や感傷に沈むことなく、「新しい男」として明るく生きようとする。物語の終わり、花宵先生の「献身」についての講話を聞いたひばりは、気負いを捨て、ごく当たり前の歩調でまっすぐに前へ進もうと心を定める。「伸びて行く方向に陽が当るようです」——希望に向かって、青年は「さようなら」と筆を擱く。太宰には珍しく、明朗で健やかな再生の意志にみちた長編である。
登場人物
- ひばり 肺を病み健康道場に入る二十歳の青年。手紙の書き手
- 花宵先生(越後獅子) 寡黙で味わい深い道場の指導者
- マア坊 快活な助手(看護婦)
- 竹さん ひばりが心惹かれる助手
冒頭部(原文より)
この小説は、「健康道場」と称する或る療養所で病いと闘っている二十歳の男の子から、その親友に宛てた手紙の形式になっている。手紙の形式の小説は、これまでの新聞小説には前例が少かったのではなかろうかと思われる。だから、読者も、はじめの四、五回は少し勝手が違ってまごつくかも知れないが、しかし、手紙の形式はまた、現実感が濃いので、昔から外国に於いても、日本に於いても多くの作者に依って試みられて来たものである。
「パンドラの匣」太宰治(青空文庫)
末尾部(原文より)
この道は、どこへつづいているのか。それは、伸びて行く植物の蔓に聞いたほうがよい。蔓は答えるだろう。 「私はなんにも知りません。しかし、伸びて行く方向に陽が当るようです。」 さようなら。
「パンドラの匣」太宰治(青空文庫)
名文
「私はなんにも知りません。しかし、伸びて行く方向に陽が当るようです。」
作品の結び。どう生きればよいかは植物の蔓に聞けばよいとして、その答えとして置かれた言葉。戦後の若者へ向けた、ほのかな希望の一行。
人間は不幸のどん底につき落され、ころげ廻りながらも、いつかしら一縷の希望の糸を手さぐりで捜し当てているものだ。
敗戦直後、結核療養所「健康道場」から友人へ書き送る手紙の一節。パンドラの匣の底に残った希望になぞらえて、どん底でも希望の糸を探り当てる人間の強さを明るく語る。
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。