流浪の追憶(坂口安吾)のあらすじ・登場人物
酒と旅と魂の放浪
- 文字数
- 4,171字
- 読了目安
- 約8分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 随筆
この作品について
友人から「放浪児」と呼ばれる坂口安吾が、自分の放浪の記憶をたどった随筆。小田原の牧野信一の家に寄寓した初夏、信州の鉱泉での酒浸りの夏、八ヶ岳の温泉をめざす途中で寄り道した精神病院、衝動的に乗り込んだ大島行きの船、故郷の新潟でのダンスホールの一夜などが、酒と寂寥にまぶされて語られる。放浪とは土地よりも魂の動きだという自己分析が中心にある。「都新聞」に三回に分けて載った。
あらすじ
(一)自分は友達から放浪児と言われるが、関東をめぐる狭い範囲を転々としただけで、本当にひどいのは精神の放浪の方だと書き出す。記憶が残る町は少なく、それは酒のせいだという。小田原の牧野信一宅に居候した初夏、山の上の豪華な酒場から谷底の街の灯を見て魂が高まったと思い込んでいたが、一年半後に会った医者から、あれは安カフェーの二階にすぎなかったと聞かされる。(二)去年の十一月、開通した高原鉄道で八ヶ岳の本沢温泉を訪ねようと出かけた道すがら、発狂して精神病院にいる中学時代の友人を見舞う。友人の俗世間的な手管が見えすいて腹が立ち、池袋で酒を呷るうち、明るい南へ行きたくなって大島行きの船に乗り込む。(三)筆者の放浪は精神の放浪から来る地理上の彷徨で、土地ではなく酒でもよいのだと言う。ふらりと故郷の新潟市へ行き、幼馴染の婦人とダンスホールに入るが、自殺や心中のことばかり考えるようになる。東京へ逃げ帰り、感傷のもとはダンスを知らないことだと考えてダンスを習いはじめるが、三日でうんざりする。ドストエフスキイの人物たちが生命力を感じたくて焦っているところにひかれる、という述懐で文章は終わる。
冒頭部(原文より)
私は友達から放浪児と言われる。なるほどこのところ数年は定まる家もなく旅やら食客やら転々としたが、関東をめぐる狭小な地域で、放浪なぞと言うほどのものではない。地上の放浪に比べたなら私の精神の放浪の方が余程ひどくもあり苦痛でもあった。
「流浪の追憶」坂口安吾(青空文庫)
末尾部(原文より)
レエゾン・ド・ビイヴルということを考えるとやりきれない。私がドストエフスキイを愛するのは彼の作中人物がみんな自分の生命力を感じたいためにあせりぬいている、それが甚だなつかしいのも一因である。
「流浪の追憶」坂口安吾(青空文庫)
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