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西方の人(芥川龍之介)のあらすじ・登場人物

わたしのクリストを書く

芥川龍之介 1927年(昭和2年)8月 「改造」

文字数
14,545字
読了目安
約29分
表記
新字旧仮名

この作品について

自殺の直前に書かれ、死の翌月に発表された芥川最後の作品の一つ。「わたしのクリスト」を、歴史的事実ではなく自らの感じたままに描くと宣言し、マリア、聖霊、ヨセフ、ヨハネ……と三十七の断章で福音書の人びとを読み解いてゆく。マリアを「永遠に守らんとするもの」、聖霊を「永遠に超えんとするもの」と定義し、クリストを「天上から地上へ登る為に無残にも折れた梯子」と呼ぶ。詩人としてのクリスト論であり、同時に作者自身の自画像でもある。

あらすじ

十年ばかり前、わたしは芸術的にクリスト教を——ことにカトリック教を愛していた。殉教者の心理は狂信者の心理のように病的な興味を与えた。だがこの頃になって、四人の伝記作者が伝えたクリストという人そのものを愛しはじめた、と芥川は書き出す。日本に生まれた「わたしのクリスト」は必ずしもガリラヤの湖を眺めていない。赤あかと実のついた柿の木の下に、長崎の入江も見えている。だから歴史的事実も地理的事実も顧みず、ただ感じたままを記す——そう断ったうえで、断章が始まる。マリアは唯の女人であり、「永遠に女性なるもの」ではなく「永遠に守らんとするもの」である。聖霊は善悪の彼岸を歩く「永遠に超えんとするもの」であり、大工のヨセフは畢竟余計ものの第一人だった。……ヘロデ、バプテズマのヨハネ、悪魔、天使、使徒たち、ユダ、ピラト。クリストのジャーナリズム、その大言壮語、その孤独。芥川はときにクリストを詩人として、ときに「聖霊の子供たち」の代表として読み替えてゆく。ゲーテもまたクリストたちの一人であり、人生の上ではクリストよりも大きかったが、我々がゲーテを愛するのはマリアの子供だったからではなく、ただ聖霊の子供だったからだ、と。クリストの一生は見じめだった。それは「天上から地上へ登る為に無残にも折れた梯子」であり、薄暗い空から叩きつける土砂降りの雨の中に傾いたままである。最後の断章「東方の人」では、涅槃の上に衛生学を立てようとした東方の人びとに触れ、老子と孔子の問答を思い描いて筆が擱かれる。

冒頭部(原文より)

1 この人を見よ  わたしは彼是十年ばかり前に芸術的にクリスト教を――殊にカトリツク教を愛してゐた。長崎の「日本の聖母の寺」は未だに私の記憶に残つてゐる。かう云ふわたしは北原白秋氏や木下杢太郎氏の播いた種をせつせと拾つてゐた鴉に過ぎない。

「西方の人」芥川龍之介(青空文庫)

末尾部(原文より)

 クリストは「狐は穴あり。空の鳥は巣あり。然れども人の子は枕する所なし」と言つた。彼の言葉は恐らくは彼自身も意識しなかつた、恐しい事実を孕んでゐる。我々は狐や鳥になる外は容易に塒の見つかるものではない。

「西方の人」芥川龍之介(青空文庫)

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