山陰土産(島崎藤村)のあらすじ・登場人物
父と子でたどる夏の山陰道
- 文字数
- 51,999字
- 読了目安
- 約1時間44分
- 表記
- 旧字旧仮名
- 種別
- 随筆
- 舞台
- 兵庫県
- 鳥取県
- 島根県
この作品について
1927年(昭和2年)7月から9月にかけて『大阪朝日新聞』に連載された島崎藤村の紀行文。同年7月8日、藤村は画学生の次男鶏二を伴って大阪を発ち、城崎から鳥取、松江、出雲、石見の益田を経て津和野まで、山陰道を西へ旅した。円山応挙の画で知られる香住の大乗寺、浦富海岸、三朝温泉、境港と美保関、宍道湖、松平不昧遺愛の茶室菅田庵、雪舟の遺跡、柿本人麻呂をしのぶ高角山などを訪ね、十六の章に記している。それまで西は土佐までしか知らなかった藤村が、行く先々で出迎えた土地の人々の案内を受けながら、夏の山陰の海と町と人を親子二人の旅として描いている。
あらすじ
七月八日、私は次男の鶏二を伴って大阪の宿を発ち、山陰への旅に出る。城崎に泊まって日和山から海を望み、香住の大乗寺で円山応挙の画を見る。夏の山陰道を西へ進み、浦富海岸の岩と海の眺めに心を奪われ、鳥取で二日を過ごしたのち三朝温泉に浸かる。松江を足場に境港から美保関へ渡り、出雲浦の海岸をめぐり、宍道湖のほとりで旅情を覚え、松平不昧遺愛の茶室菅田庵を訪ねる。杵築から石見の益田に至り、医光寺や万福寺など雪舟の遺跡を訪ね、高津では柿本人麻呂ゆかりの高角山に登って万葉の昔を偲ぶ。最後に津和野に着くと、町長らが待ち受けて町を案内してくれ、森鴎外の生地であり藩校養老館の跡を見る。土地の人々との夕餉もそこそこに小郡行きの夜汽車に乗り、親子は暗い山を越えて山陰地方を離れていく。
登場人物
- 私 旅をする作家
- 鶏二 私の次男。絵具箱を携えた美術学生
冒頭部(原文より)
一 大阪より城崎へ 朝曇りのした空もまだすゞしいうちに、大阪の宿を發つたのは、七月の八日であつた。夏帽子一つ、洋傘一本、東京を出る前の日に「出來」で間に合はせて來た編あげの靴も草鞋をはいた思ひで、身輕な旅となつた。
「山陰土産」島崎藤村(青空文庫)
末尾部(原文より)
私達は土地の人達と一緒に樂しい膳にむかつて、吸ひ物椀の蓋を取つて見たばかりのころに、最早小郡行の發車の時が迫つたことを聞いた。そこに集まつた中には、飮みかけた酒の盃を置いて停車場まで別れを告げに來てくれた人達もあつた。 「鷄ちやん、山一つ越すともう長門の國ださうだよ。トンネルの内が石見の境ださうだよ。」 私がそれを鷄二にいつてみせるころは、そこいらは眞暗であつた。動いて行く汽車の中からも窓の外に顏を出したが、黒い山の傾斜しか目に映らなかつた。私達はその夜の空氣に包まれながら、山陰地方から離れて行つた。
「山陰土産」島崎藤村(青空文庫)
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