三十年前の島田沼南(内田魯庵)のあらすじ・登場人物
清貧を衒った政治家の光と影
- 文字数
- 12,960字
- 読了目安
- 約26分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 随筆
この作品について
清廉潔白の君子人として世を挙げて哀悼された政治家・島田沼南(三郎)。その死に際し、内田魯庵が三十年前の記憶をたどって、貧乏を衒う妙な癖、艶名を鳴らした先夫人の不祥事、そして自らを裏切った忘恩の書生を寛容した美徳と、清貧の裏にひそむ潔癖とを、偶像化を排して赤裸々に描く人物回想。
あらすじ
清廉の政治家として盛大に葬られた島田沼南(島田三郎)を、内田魯庵が偶像化を排して等身大に描く回想。まず、面識者を「またゆっくり」で巧みに撃退した応対ぶりや、必要もないのに貧乏を衒い、豪奢に暮らしながら社員の増給には空々しい貧乏話をした「清貧のミエ」を挙げる。毎日新聞社長時代の朝令暮改ぶりや、社員に一片の葉書で解職を通知した不信も語られる。中心となるのは、沼南の外遊中に艶名を鳴らした先夫人が、面胞だらけの玄関番の書生Yと不品行に及んだ事件で、沼南が自分の顔に泥を塗ったYを寛容し、諄々と訓誡した上に帰郷の旅費や修養の書籍まで与え、死ぬまで面倒を見てやったという美談を、著者は当時親しく事情を知る立場から詳しく伝える。この大雅量に深く感嘆しつつも、度量海の如き大人格ではなく小悪微罪を忍びえぬ潔癖家であったと見て、なぜYにのみ寛大だったのかは今も謎だと記す。シーメンス事件を弾劾した名演説にも触れ、廃娼を唱えた晩年と拝娼で鳴らした壮年の落差を隠さず、瑜瑕を並び覆わぬありのままの沼南像を提示する。
登場人物
- 島田沼南(しまだしょうなん) 本名・島田三郎。清廉で鳴らした政治家・ジャーナリスト。毎日新聞社長。シーメンス事件を弾劾し、晩年は廃娼運動に尽力した。
- 先夫人(せんふじん) 沼南の妻。番町女王と艶名を鳴らしたが、外遊中の不祥事で名を汚した。
- Y 沼南の玄関番の書生。恩人の妻と不品行に及んだが、沼南に寛容された。
- 内田魯庵(うちだろあん) 著者。事件当時、Yと親しく出入りしていた。
冒頭部(原文より)
島田沼南は大政治家として葬られた。清廉潔白百年稀に見る君子人として世を挙げて哀悼された。棺を蓋うて定まる批評は燦爛たる勲章よりもヨリ以上に沼南の一生の政治的功績を顕揚するに足るものがあった。 沼南には最近十四、五年間会った事がない。それ以前とて会えば寒暄を叙する位の面識で、私邸を訪問したのも二、三度しかなかった。シカモその二、三度も、待たされるのがイツモ三十分以上で、漸く対座して十分かソコラで用談を済ますと直ぐ定って、「ドウゾ復たお閑の時御ユックリとお遊びにいらしって下さい」と後日の再訪を求めて打切られるから、勢い即時に暇乞いせざるを得なくなった。
「三十年前の島田沼南」内田魯庵(青空文庫)
末尾部(原文より)
沼南はまた晩年を風紀の廓清に捧げて東奔西走廃娼禁酒を侃々するに寧日なかった。が、壮年の沼南は廃娼よりはむしろ拝娼で艶名隠れもなかった。が、その頃は紅倚翠を風流として道徳上の問題としなかった。忠孝の結晶として神に祀られる乃木将軍さえ若い頃には盛んに柳暗花明の巷に馬を繋いだ事があるので、若い沼南が流連荒亡した半面の消息を剔抉しても毫も沼南の徳を傷つける事はないだろう。沼南はウソが嫌いであった。「私はウソをいった事がない」と沼南自身の口ずから聞いたのは数回に留まらない。瑜瑕並び覆わざる赤裸々の沼南のありのままを正直に語るのは、沼南を唐偏木のピューリタンとして偶像扱いするよりも苔下の沼南は微笑を含んでかえって満足するであろう。
「三十年前の島田沼南」内田魯庵(青空文庫)
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