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「細雪」回顧(谷崎潤一郎)のあらすじ・登場人物

細雪が歩んだ戦時の道

谷崎潤一郎 1948年(昭和23年)11月 「作品」

文字数
3,497字
読了目安
約7分
表記
新字旧仮名
種別
随筆

この作品について

谷崎潤一郎が、『細雪』の完結後の1948年(昭和23年)11月、雑誌「作品」第二号に寄せた回想。太平洋戦争中に起稿し、「時局にそはぬ」として中央公論での連載を止められ、私家版も警察の目にとまったいきさつ、書くうえで調べた時代の細部、『源氏物語』の影響についての考え、『蓼喰ふ虫』『吉野葛』への愛着などを語る。谷崎自身が語る、『細雪』の成立事情を知ることができる文章。

あらすじ

『細雪』を書き始めたのは、太平洋戦争が始まった翌年の昭和十七年。中央公論の昭和十八年新年号と四月号に載ったが、七月号は「時局にそはぬ」として陸軍省報道部の忌諱に触れ、ゲラ刷りのまま日の目を見なかった。そこで上巻の分を私家版にして知人に配ると、今度は兵庫県庁の刑事の来訪を受け、今後の出版は許さないと脅された。そうした弾圧の中でも書き続けたが、関西の上流中流の暮らしの「不倫」「不道徳」な面は構想どおりには書けず、それは戦争と平和のあいだに生まれた小説の避けがたい運命だったと振り返る。戦時下の自動車や寝台車、芝居や映画の上演など時代の細部は年代記風の覚え書をつくって調べ、水害の描写は見聞や生徒の作文を参考にしたと明かす。『源氏物語』の影響は作者には分からず、第三者の判定に待つほかないとし、大正末に関西へ移って以後の作品について、愛着が深いのは『蓼喰ふ虫』と『吉野葛』だと述べる。執筆は熱海・勝山・京都で、毎日六七時間、書き始めると二十日ほど続けて書いたという。

冒頭部(原文より)

私が「細雪」の稿を起したのは太平洋戦争が勃発した翌年、即ち昭和十七年のことである。 これがはじめて中央公論に出たのは昭和十八年の新年号であつたが、それから四月号に載り、次いで七月号に掲載される筈の所がゲラ刷になつたまゝ遂に日の目を見るに至らなかつた。陸軍省報道部将校の忌諱に触れたためであつて、「時局にそはぬ」といふのが、その理由であつた。当時すでに太平洋の戦局は我に不利なる徴候を見せ、軍当局はその焦慮を露骨に国内の統制に向けはじめてゐたことであるから、全く予期されぬことではなかつたが、折角意気込んではじめた仕事の発表の見込が立たなくなつたことは打撃であつた。いや、ことは単に発表の見込が立たなくなつたと云ふにつきるものではない。文筆家の自由な創作活動が或る権威によつて強制的に封ぜられ、これに対して一言半句の抗議が出来ないばかりか、これを是認はしないまでも、深くあやしみもしないと云ふ一般の風潮が強く私を圧迫した。

「「細雪」回顧」谷崎潤一郎(青空文庫)

末尾部(原文より)

昭和十七、十八、十九、の三年は熱海で書き、二十年になつて熱海も不安になり逃げ歩くやうになつてからは岡山県の勝山でやうやく五十枚くらゐ、平和になつてからは京都と熱海で書いた。興がのつてものらなくても大抵毎日六七時間きめて書いた。そして書きはじめると二十日ぐらゐはつゞけて書いた。長かつたから何と云つても肉体的には疲れた。最後の方になつて殊に疲れを感じたやうに思ふ。

「「細雪」回顧」谷崎潤一郎(青空文庫)

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