精神病覚え書(坂口安吾)のあらすじ・登場人物
精神病院の内と外を見る
- 文字数
- 9,028字
- 読了目安
- 約18分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 随筆
この作品について
1949年6月の「文藝春秋」に載った、坂口安吾自身の入院体験にもとづく随筆。催眠薬アドルムの中毒と鬱を病み、東大の神経科で一か月余の持続睡眠療法を受けたあと、外来の診察を見学した経験を書く。ドストエフスキーやゴッホは分裂病かテンカンか、というやりとりも交えながら、フロイドの方法への疑い、精神病患者と「普通の人」との境界、病院の外の世界のほうが奇怪ではないか、という問いへ向かう。文末に「退院の翌日」と記される。
あらすじ
一か月余の睡眠治療が終わり、歩行もいくらか可能になったころ、安吾は医者のふりをして東大精神病院の外来診察を見学した。新患の大半はヒキツケの学童や智能の劣る子どもだった。ドストエフスキーの話から、パウロやゴッホをテンカンとする説が話題になり、見舞いに来た小林秀雄はゴッホは分裂病ではなくテンカンではないかと言う。安吾は精神医学が幼稚で、精神の実体は医者も文士も確かに知らないと考える。フロイドの方法はかつて高く評価していたが、入院後は役に立たないと感じた。自分の場合はアドルム中毒を加えた鬱病で、持続睡眠療法を受けた。患者が悩んでいる真実は潜在意識よりも、徳義上の内省であり、自我の理想的な構成が精神病の原因の一つだとみる。外来で見た十人ほどの患者は、文士の応接間に現れてもおかしくない人たちが主だった。入院を巡って新聞記者が押しかけ、自殺のデマまで流された体験から、新聞の在り方のほうがよほど犯罪的だと述べる。精神病者は自らの動物と闘って敗れた敗残者かもしれないが、一般人はその闘いを忘れ、動物の上に安住している。ゴッホの方が健全で、病院の外の世界が奇怪なのではないか、というのが結論である。
冒頭部(原文より)
一ヶ月余の睡眠治療が終って、どうやら食慾も出、歩行もいくらか可能になったころ、まだ戸外の散歩はムリであるから、医者のフリをして、ちょッと外来を見せて貰った。幸い僕の担当が外来長の千谷さんであったから、有無を言わさず、僕が勝手に乗りこんだようなものであった。 ほかの精神病院のことは知らないが、東大に関する限り、ここが精神病院の何より良いところである。お医者さん、看護婦、附添い、すべて患者の神経を苛立たせないように、これつとめ、これを専一に注意を払ってくれる。神経科以外の病棟は決してこう行き届く筈はないだろうと思った。だから僕は、ほかの病気で入院する時でも、神経科へ入院して、その専門の病室へ通うのが何よりだと思ったほどである。
「精神病覚え書」坂口安吾(青空文庫)
末尾部(原文より)
小林秀雄も言っていたが、ゴッホの方がよほど健全であり、精神病院の外の世界が、よほど奇怪なのではないか、と。これはゴッホ自身の説であるそうだ。僕も亦、そう思う。精神病院の外側の世界は、背徳的、犯罪的であり、奇怪千万である。 人間はいかにより良く、より正しく生きなければならないものであるか、そういう最も激しい祈念は、精神病院の中にあるようである。もしくは、より良く、より正しく生きようとする人々は精神病的であり、そうでない人々は、精神病的ではないが、犯罪者的なのである。(退院の翌日)
「精神病覚え書」坂口安吾(青空文庫)
原文を読む
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