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青春物語(谷崎潤一郎)のあらすじ・登場人物

谷崎が語る若き日の文壇

谷崎潤一郎 1932年(昭和7年)9月 「中央公論」

文字数
73,259字
読了目安
約2時間27分
表記
新字旧仮名
種別
随筆

この作品について

谷崎潤一郎の青春回想記。1932年(昭和7年)9月号から翌年3月号まで「中央公論」に連載された。中学・一高時代の友人、第二期「新思潮」の創刊と「刺青」の発表、パンの会、永井荷風や小山内薫との交わり、京阪に遊んだ頃の神経衰弱など、明治末から大正初めの文壇と自身の若い日を、辰野隆、大貫晶川、恒川陽一郎と名妓萬龍らの人物像とともに語る。『刺青』で世に出るまでの事情を、作者自身の口から知ることができる。

あらすじ

書き出しは、中学の同窓辰野隆の毒舌の思い出。中学時代から文学に傾いた親友の大貫晶川と恒川陽一郎を語り、ともに夭折した二人のうち、恒川が名妓萬龍と結ばれた顛末を記す。落籍の金策を相談された谷崎は、その経緯を岡本一平・かの子夫妻に話し、それが新聞に出て、恒川とは疎遠になったまま別れることになったと悔いる。「新思潮」創刊前後には、自然主義の全盛と家の貧しさの中で将来に迷った日々、友人の励まし、荷風『あめりか物語』への共感を語り、第二期「新思潮」の同人(和辻哲郎、後藤末雄、木村荘太ら)や、偕楽園の笹沼の援助で雑誌が出たこと、「誕生」「刺青」の掲載、荷風に雑誌を手渡した場面を記す。続いてパンの会、紅葉館の新年宴会、荷風の評論で世に認められた喜び、小山内薫とのいきさつを回想する。京阪流連時代は、明治四十五年に京阪見物記の連載を約して京都へ移り、お多佳さんらとの交遊や上田敏との対面を語る。最後は神経衰弱の発作と、恐怖に苦しみながら徴兵検査に間に合うよう帰京した経緯で、「私の「青春物語」は此れを以て終る」と結ぶ。

冒頭部(原文より)

十年たてば一と昔と云ふが、私が初めて文壇へ出てからもう彼れ此れ二十三四年になる。私も此れでまだ懐旧談などをする歳ではないんだが、近頃の「スバル」を読むと、我が中学の同窓である吉井勇君なども、しきりに青年時代のことを懐かしがつて書いてゐるやうだ。辰野隆君も矢張中学から一高、赤門を通じての古い友だちだが、「改造」だか「中央公論」だかへ出た同君の「スポーツ漫談」なるものを読むと、中学時代の私のことが一寸引き合ひに出されてゐる。同君は私のことを「秀才谷崎」と呼んだりしてゐるが、さう云ふ辰野君のあの時分の風貌を想ふと、まことに今昔の感に堪へない。何しろ辰野君と云つたら、当時貴公子の美少年共が校内に徒党を組んでゐた中の一人で、ハイカラで、快活で、スポーツ好きで、才気煥発ではあつたが、怠け者で、腕白で、成績はあまり芳しい方でなく、一高の入学試験に「石鹸の製法を記せ」と云ふ有機化学の問題が出た時、「石鹸はうどん粉を固めて作る」と云ふ答案を出した豪の者だつた。

「青春物語」谷崎潤一郎(青空文庫)

末尾部(原文より)

私の「青春物語」は此れを以て終る。それにつけても、繰り返して云ふが、二十年後の今日に及び顧みて往時を偲ぶと、真に無量の感慨が湧く。漱石先生の詩に曰く、「馬上青年老ユ鏡中白髪新タナリ」と。真に、真に、豊頬紅顔の春は止まらず、池塘芳草の夢は短い。私は郷関を捨てゝより十年、今や摂陽の山河を第二の故郷と頼み、やがては浪華を墳墓の地と定めたい念願が切であるが、わが回想に浮かぶ若き日の大阪がいかになつかしいことぞ。鴨西、鴨東の蘭燈の影、嵯峨嵐山の晩春の行楽、宇治川堤の桜若葉等、京洛附近にも思ひ出の種は数々あるが、分けても大阪は現在の私に縁故が深くなつたせゐか道頓堀川の水を見ても転た懐旧の情に堪へない。あの時の旅行は京都を根拠地にして、大阪に滞在したのは前後廿日程に過ぎなかつたのに、年々花たちばなの薫る季節になれば、不思議にも京都のことよりは多く大阪のことの方が記憶によみがへつて来る。蓋し私の最も若く楽しかつた時代と、最も苦しく悩ましかつた時代とに関連してゐる故であらうか。それとも、もうその時に今日の縁が結ばれてゐたからであらうか。況んや東京の下町が全く形態を改めてしまつてからは、私の過去の夢の名残りは京阪の都会に見出だされるばかりである。未だに私は宝塚に遊ぶと、泡鳴氏の面影が眼前にちらつき、南北線の橋の上を通ると、抱月氏の姿を幻に描く。そしてあの時の暑さも、苦しさも、遣る瀬なさも、動悸の音も、灼けつくやうな日光も、今から思へば皆なつかしい。あの時の白い土の色、眩ゆい木々の緑、水ツぽい料理の味、生気を欠いた女の物腰、立居ふるまひ、言葉づかひ等も、今では何物にも優る魅力を以て私を惹きつける。嗚呼、流水変ずること幾度ぞ。私の仕事、私の生活も、やう/\此処まで辿り着いたと云ふ感じがする。

「青春物語」谷崎潤一郎(青空文庫)

名文

読んでゐる間彼は一語も発しなかつたが、読み終るや否や、「こんな面白いものを読んだことがない」と、興奮しきつた口調で云ひ、「君、握手しよう」と、いきなり私の手を握つた

谷崎の回想記『青春物語』から。同人の木村が「刺青」の原稿を一気に読み、真っ先に激賞してくれた場面である。

「永井さんだ」と、誰かゞ私の耳の端で云つた。私も一と眼で直ぐさう悟つた。そして一瞬間、息の詰まるやうな気がした。

第一回「パンの会」で、畏敬する永井荷風の姿を初めて見た瞬間。若き谷崎の緊張と憧れが生々しく伝わる。

原文を読む

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