戦後新人論(坂口安吾)のあらすじ・登場人物
戦後の新人を語り尽くす
- 文字数
- 7,363字
- 読了目安
- 約15分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 随筆
この作品について
1949年11月の「文藝春秋」に載った随筆。文学ではなく、将棋の升田幸三、漫画の横山泰三、ラジオのクイズ番組、プロ野球、アマチュア・スポーツなど、終戦後に現れた新しい顔ぶれを取りあげ、そこから「新人」とは何かを論じる。保守的な老人の愚痴を退け、職業人として天分に生きる姿を尊ぶ見方が一貫している。当時の芸能・スポーツ界を安吾がどう見ていたかを知る時評でもある。
あらすじ
終戦後に新人現ると聞いたのは、将棋の升田幸三が最初だったと安吾は書く。升田は定跡を壊し、棋士の気風を一変させ、将棋界が活気づいたのに対し、囲碁界は老い、新風を怖れる保守思想が目立つと言う。老人は昔の五代目がうまかったと言いたがるが、老人は現代に生きていないのだと切り捨てる。落語では歌笑が現代の人気者で、漫画では横山泰三が過去に例のない新風をもたらした。ラジオでは二十の扉や話の泉が戦後の新産物で、徳川夢声を高く評価する。プロ野球は戦前の六大学を超える人気を得たが、保守的な野球雑誌の声に反論する。荒巻投手が東大入学を取りやめた話を引き、人が天分に生きることが罪悪視されていた過去の思想を批判する。さらに、新人とは職業人としての新人であり、職業以外は余技にすぎないと論じ、朝日新聞文化賞がアマチュア・スポーツに授賞することを疑問とする。結びでは、現代は最も素質ある新人の揃った時代であり、新人に良きものなしというのは頭の悪いジャーナリズムと愚痴っぽい老人の言うことだと断じる。
冒頭部(原文より)
終戦後、私が新人現るの声をきいたのは、升田幸三がはじまりだったようである。十年不敗の木村名人に三タテを喰わせて登場した彼であるが、木村に三タテを喰わせたという事実だけなら、さしたることではなかったろう。彼の将棋は相手に一手勝てばよいという原則を信条として、旧来の定跡の如きを眼中にしない。したがって、旧来の定跡では、升田の攻撃速度に間に合わない、などゝ言われたが、棋界は彼の出現によって、棋士の気風が一変した。既成定跡はフンサイされ、架空の権威は名を失って、各棋士が独自の新手を創造することを手合いの信条とし、日常の心構えとするようになった。
「戦後新人論」坂口安吾(青空文庫)
末尾部(原文より)
水泳フリー千五百の一八分一九秒はまだどんどん破られるだろう。陸上百米の十秒三が二か一ぐらいになると、ほゞ人間の限界に達して破ることが至難になろうが、長い距離は陸上水泳に限らず、限界は遠く先にあって、まだ当分はヤマが見えない。 文化賞の授賞などゝいうことには、ひろく深い識見が必要で、ジャーナリズムの新人は必ずしも新人ではない。 私の経てきた半生のうちで、現代は、ともかく最も素質ある新人の揃っている時代のようであり、その新風もかなり劃然と一つの新時代到来を感じさせるものがあるようである。新人に良きものなしなどゝ云うのは頭の悪いジャーナリズムとグチッぽい老人どもの云うことである。
「戦後新人論」坂口安吾(青空文庫)
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