戦争責任者の問題(伊丹万作)のあらすじ・登場人物
「だまされていた」という罪を問う
- 社会
- 文字数
- 7,064字
- 読了目安
- 約14分
- 表記
- 新字新仮名
この作品について
敗戦の翌年、病床の映画監督・伊丹万作が書いた評論。映画界の戦争責任者を追放せよという声に対し、「だまされていた」と口をそろえる国民の側こそ問われねばならないと説く。だまされることもまた一つの罪であり、批判力を失った国民が同じ過ちを繰り返すのだと論じたこの文章は、発表から八十年を経てなお読み継がれる、戦後日本の代表的な自己省察の記録である。
あらすじ
自由映画人連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘して追放を主張し、その主唱者に自分の名前もまじっていると聞いた——そう書きおこして、伊丹万作は「この問題ほどわかりにくい問題はない」と告白する。多くの人が今度の戦争ではだまされていたという。だが「おれがだましたのだ」と言った人間は一人もいない。民間は軍や官にだまされたといい、軍や官はさらに上からだまされたという。たどっていけば最後に一人か二人しか残らない勘定になるが、一億の人間がそれでだませるはずがない。つまり日本人全体が夢中になって互いにだましたりだまされたりしていたのだ、と彼は指摘する。戦争中、われわれをもっとも直接に苦しめたのは、隣組長であり、小商人であり、小役人であり、学校の先生であった——身近な同胞そのものだったではないか。にもかかわらず人々は、自分だけはだまさなかったと信じている。そして伊丹は核心へ進む。「だまされていた」という一語で無条件に自分を無責任の位置に移す態度こそ危険なのだ、と。だまされたものにも罪がある。それは、物事の判断を自分でせず、批判力を放棄した罪である。この国民の無自覚と無責任が改められない限り、日本人はまた同じことを繰り返すだろう——病床から放たれたその警告で、この短い評論は結ばれる。
冒頭部(原文より)
最近、自由映画人連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見かときくようになつた。 そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。
「戦争責任者の問題」伊丹万作(青空文庫)
末尾部(原文より)
さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。
「戦争責任者の問題」伊丹万作(青空文庫)
名文
しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。
敗戦の翌年、「だまされていた」と言って責任を免れようとする風潮に対して、映画監督の伊丹万作が書いた一節。だまされることもまた悪であると言い切り、一人ひとりの責任を問う。
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。