堕落論(坂口安吾)のあらすじ・登場人物
堕ちよ、そして自分を見出せ
- 社会
- 文字数
- 7,600字
- 読了目安
- 約15分
- 表記
- 新字新仮名
この作品について
1946年(昭和21年)4月の『新潮』に発表された坂口安吾の評論。敗戦から半年ほどで変わった世相を入口に、戦時中の道徳や美談が覆い隠していた人間の姿を問い直す。武士道、貞節、天皇制などを取り上げ、人を立派な型にはめて保とうとする仕組みと、欲望を抱えて生きる個人との隔たりを論じる。ここでいう堕落は、単に悪事を勧める言葉ではない。借り物の理想にすがらず、自分の弱さや矛盾を引き受けるところから、人間を見つめ直そうとする考えである。歴史上の逸話に自身の身近な経験や空襲の記憶を交え、断定と問いを重ねながら議論を進めるため、抽象的な道徳論にも生活の手触りがある。同年発表の小説『白痴』とともに、安吾が戦後の文壇で広く知られる契機となり、無頼派と呼ばれる作家の思想を知るうえでも重要な一編となった。
あらすじ
終戦からわずか半年で世相ががらりと変わったことに、坂口安吾はまず筆を起こす。命を捧げるはずだった特攻隊の勇士は闇屋となり、貞節を誓った戦争未亡人も新たな面影を胸に宿しはじめる。安吾は、人間が変わったのではなく、変わったのは世相の上皮に過ぎないのだと説き、忠臣蔵の四十七士の切腹や武士道の美学もまた、人間の弱さと堕落を隠すための建前にすぎなかったと喝破する。天皇制や武士道といった制度は、堕ちることに耐えられない人間が自らを繋ぎとめるために作り出した仕掛けであり、政治による上辺だけの改革では人間を救えないと安吾は論じる。人間は生きているかぎり堕落せずにはいられない。だからこそ、その堕ちる道を堕ちきることによってはじめて、人は本当の自分自身を発見し、救われることができるのだと、安吾は力強く結ぶ。
冒頭部(原文より)
半年のうちに世相は変った。醜の御楯といでたつ我は。大君のへにこそ死なめかへりみはせじ。若者達は花と散ったが、同じ彼等が生き残って闇屋となる。ももとせの命ねがはじいつの日か御楯とゆかん君とちぎりて。けなげな心情で男を送った女達も半年の月日のうちに夫君の位牌にぬかずくことも事務的になるばかりであろうし、やがて新たな面影を胸に宿すのも遠い日のことではない。人間が変ったのではない。人間は元来そういうものであり、変ったのは世相の上皮だけのことだ。
「堕落論」坂口安吾(青空文庫)
末尾部(原文より)
終戦後、我々はあらゆる自由を許されたが、人はあらゆる自由を許されたとき、自らの不可解な限定とその不自由さに気づくであろう。人間は永遠に自由では有り得ない。なぜなら人間は生きており、又死なねばならず、そして人間は考えるからだ。政治上の改革は一日にして行われるが、人間の変化はそうは行かない。遠くギリシャに発見され確立の一歩を踏みだした人性が、今日、どれほどの変化を示しているであろうか。人間。戦争がどんなすさまじい破壊と運命をもって向うにしても人間自体をどう為しうるものでもない。戦争は終った。特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか。人間は変りはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。人間は結局処女を刺殺せずにはいられず、武士道をあみださずにはいられず、天皇を担ぎださずにはいられなくなるであろう。だが他人の処女でなしに自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。そして人の如くに日本も亦堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。
「堕落論」坂口安吾(青空文庫)
名文
堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。
敗戦直後の日本人に向けて書かれた評論の核心。武士道や天皇といった借り物の道徳へ戻るのではなく、堕ちきった先で自分を見出せと説く。
人間は変りはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。
敗戦後の世相を見つめた一節。堕落を人間の本性として引き受けよという、本論の中核をなす言葉。
戦争は終った。特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか。
敗戦から一年とたたない世相を突きつける一節。美しく語られた戦時の理想が崩れ、人々が生きるためにたやすく変わっていく現実を直視する。
人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。
堕落を防ぐことでは人は救えないと述べたあとに置かれた一文。生きることと堕ちることを同じものとして引き受けよと説く、本作の主張の要。
戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。
堕落を敗戦のせいにする見方を退ける一節。堕落は時代の産物ではなく人間の本性だと言い切り、戦後の人々に自らを見つめ直すよう迫る。
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。