アプリで読む

無料・登録不要

志賀直哉に文学の問題はない(坂口安吾)のあらすじ・登場人物

私小説の安定を斬る

坂口安吾 1948年(昭和23年)9月 「読売新聞」

文字数
1,654字
読了目安
約3分
表記
新字新仮名

この作品について

「太宰、織田が志賀直哉に憤死した」という俗説の話題を入口に、志賀直哉の小説の性格と日本の私小説の「安定」を批判した短い評論。我慾を肯定して見せることで安定する小説の方法を、「ニセ苦悩」「健全玩具」と鋭く批判する。初出は「読売新聞」1948(昭和23)年9月27日。

あらすじ

太宰治と織田作之助が志賀直哉に憤死した、という俗説が出たところで、作者は異とするに足りないという。太宰が志賀に腹を立てて「如是我聞」を書いたのは事実で、人間についての批評にはたいがいの根があるからだ。ただし、そこから憤死したと断じるのは突飛な飛躍だと作者は述べる。作者によれば、志賀直哉の小説は一つの我慾を構成して示したもので、そこに哲学がなく、神や哲学者の名前も言葉を弄ぶだけだった。彼の問題は「志賀直哉という位置の安定」にすぎず、彼は我慾を肯定して見せることで安定している。外国には神父に告白して罪の許しを受ける方法があるが、小説で罪を肯定して安定するという方法はなく、そこが日本の私小説の最大の特色である。それは苦悩に触れずに苦悩的な外貌をもつ「新発明の健全玩具」であり、保身を祈る通俗の世界に救いをもたらし、日本の知性を圧しつぶした。夏目漱石にも脱出の希いはあったが、志賀には一身をかけた祈りは翳すらない。作者は、志賀直哉の人間的な貧しさは「如是我聞」に描かれたとおりだろうとし、志賀直哉には文学の問題などないのだと結ぶ。

冒頭部(原文より)

 太宰、織田が志賀直哉に憤死した、という俗説の一つ二つが現われたところで、異とするに足らない。一国一城のアルジがタムロする文壇の論説が一二の定型に統制されたら、その方が珍であろう。奇説怪説、雲の如くまき起り、夜鴉文士や蝮論客のたぐいを毒殺憤死せしめる怪力がこもれば結構である。  人間にたいがいの事が可能でありうるように、人間についての批評も、たいがいの事に根がありうるものである。だから蝮論客の怪気焔にも根はあざやかに具り、たゞ、無数の根から一つの根をとりだすには、御当人の品性や頭の問題が残るだけの話である。

「志賀直哉に文学の問題はない」坂口安吾(青空文庫)

末尾部(原文より)

 この阿呆の健全さが、日本的な保守思想には正統的な健全さと目され、その正統感は、知性高き人々の目すらもくらまし、知性的にそのニセモノを見破り得ても、感性的に否定しきれないような状態をつくっている。太宰の悲劇には、そのような因子もある。  然し、志賀直哉の人間的な貧しさや汚らしさは、「如是我聞」に描かれた通りのものと思えば、先ず、間違いではなかろう。志賀直哉には、文学の問題などはないのである。

「志賀直哉に文学の問題はない」坂口安吾(青空文庫)

原文を読む

原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。

青空文庫の図書カード

同じ作家の作品