四十年前――新文学の曙光――(内田魯庵)のあらすじ・登場人物
鹿鳴館時代と新文学の曙
- 文字数
- 8,439字
- 読了目安
- 約17分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 随筆
この作品について
大臣大将が仮装して踊った鹿鳴館時代の欧化熱を、内田魯庵が当時の空気とともに活写する。井上馨・森有礼らが推し進めた急進的な欧化政策の狂騒と挫折を語りつつ、その大洪水が播いた養分から新文学が芽吹き、春の屋朧の『書生気質』が新興文芸の第一声として迎えられるまでを描く、明治初期の文化回想。
あらすじ
内田魯庵が、四十年前の鹿鳴館時代の欧化熱を回想し、そこから新文学が生まれた経緯を描いた文化史的随筆。近時のダンス熱を枕に、鹿鳴館を舞台とした華麗な欧化の狂騒を語り、大臣大将が白粉を塗り鬘をつけて踊った前代未聞の仮装舞踏会や、その夜に起きた貴夫人をめぐる怪しい風説を活写する。欧化政策の智嚢・森有礼が女子教育を根本から改造し、男女交際や自由恋愛が女学校で鼓吹され、婦人乗馬や人種改良論まで飛び出した突飛な世相を並べる。やがて欧化への保守的反動が起こり、保安条例による志士の追放、尾崎行雄の痛快な退京などを経て井上内閣が倒れるが、この馬鹿々々しい欧化の大洪水こそ新しい文化を萌芽させる養分を残したとする。矢野龍渓・末広鉄腸・東海散士らの政治小説を先駆とし、旧戯作者が置き去りにされる中で、文学士春の屋朧の『書生気質』が新興文芸の第一声として歓迎されたと説き、伊井公侯の欧化政策を「極めて尊い滑稽」と位置づける。
登場人物
- 井上馨(いのうえかおる) 欧化政策の急先鋒。鹿鳴館時代を主導したが、保守的反動を招いて挂冠した。
- 森有礼(もりありのり) 当時の内閣の智嚢たる文相。女子教育を根本から改造しようとした急進的な欧化主義者。
- 尾崎行雄(おざきゆきお) 学堂居士。保安条例で退京を命じられ、「我は既に大臣となれり」と傲語して痛快がられた。
- 坪内逍遥(つぼうちしょうよう) 文学士春の屋朧。『書生気質』を新興文芸の第一声として世に問うた。
- 内田魯庵(うちだろあん) 著者。
冒頭部(原文より)
亜米利加の排日案通過が反動団体のヤッキ運動となって、その傍杖が帝国ホテルのダンス場の剣舞隊闖入となった。ダンスに夢中になってる善男善女が刃引の鈍刀に脅かされて、ホテルのダンス場は一時暫らく閉鎖された。今では余熱が冷めてホテルのダンス場も何カ月ぶりかで再び開かれたが、さしもに流行したダンス熱は一時ほどでなくなった。 が、四十年前のいわゆる鹿鳴館時代のダンス熱はこれどころじゃなかった。尤も今ほど一般的ではなかったが、上台閣の諸公から先きへ立って浮れたのだから上流社会は忽ち風靡された。
「四十年前――新文学の曙光――」内田魯庵(青空文庫)
末尾部(原文より)
当年の若い伊井公侯なら恐らくこれを危険視する事は豈夫あるまい。伊井公侯の欧化策は文明の皮殻の模倣であったが、人心を新たにし元気を横溢せしめて新らしい文明のエポックを作った。頓挫しても新らしい文化の種子を播いたのは争えない。当時の公侯の文化主義は終に曾我の家式滑稽として終ったが、シカモこの喜劇は極めて尊い滑稽であった。
「四十年前――新文学の曙光――」内田魯庵(青空文庫)
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