心願の国(原民喜)のあらすじ・登場人物
小鳥に生まれかわる夢
- 文字数
- 5,143字
- 読了目安
- 約10分
- 表記
- 新字旧仮名
- 種別
- 小説
この作品について
原民喜が最期の年、一九五一年に書いた散文詩風の小説。夜明けの小鳥の声から、小鳥に生まれ変わる空想、そして雲雀が流星となって燃え上がる幻想へと進む。死への静かな憧れが、澄んだ筆致で描かれる、晩年の代表作の一つ。
あらすじ
冒頭に「一九五一年 武蔵野市」とある。夜明け近く、寝床のなかで小鳥の啼き声を聞いている「僕」は、小鳥たちの言葉が今にも分かりそうな気がして笑う。もし小鳥に生まれ変わって小鳥の国を訪ねたら、どう迎えられるだろうと空想し、湖水のほとりの森の径で、小鳥となった親しい者たちと出会う幻に入っていく。終盤、一羽の雲雀が空へ昇りつめ、生物の限界を脱して一つの流星になる光景が描かれる。「あれは僕ではない。だが、僕の心願の姿にちがひない」という括弧書きの一文で結ばれる。
冒頭部(原文より)
〈一九五一年 武蔵野市〉 夜あけ近く、僕は寝床のなかで小鳥の啼声をきいてゐる。あれは今、この部屋の屋根の上で、僕にむかつて啼いてゐるのだ。含み声の優しい鋭い抑揚は美しい予感にふるへてゐるのだ。小鳥たちは時間のなかでも最も微妙な時間を感じとり、それを無邪気に合図しあつてゐるのだらうか。僕は寝床のなかで、くすりと笑ふ。今にも僕はあの小鳥たちの言葉がわかりさうなのだ。さうだ、もう少しで、もう少しで僕にはあれがわかるかもしれない。……僕がこんど小鳥に生れかはつて、小鳥たちの国へ訪ねて行つたとしたら、僕は小鳥たちから、どんな風に迎へられるのだらうか。その時も、僕は幼稚園にはじめて連れて行かれた子供のやうに、隅つこで指を噛んでゐるのだらうか。それとも、世に拗ねた詩人の憂鬱な眼ざしで、あたりをじつと見まはさうとするのだらうか。だが、駄目なんだ。そんなことをしようたつて、僕はもう小鳥に生れかはつてゐる。ふと僕は湖水のほとりの森の径で、今は小鳥になつてゐる僕の親しかつた者たちと大勢出あふ。
「心願の国」原民喜(青空文庫)
末尾部(原文より)
僕は今しきりに夢みる、真昼の麦畑から飛びたつて、青く焦げる大空に舞ひのぼる雲雀の姿を……。(あれは死んだお前だらうか、それとも僕のイメージだらうか)雲雀は高く高く一直線に全速力で無限に高く高く進んでゆく。そして今はもう昇つてゆくのでも墜ちてゆくのでもない。ただ生命の燃焼がパツと光を放ち、既に生物の限界を脱して、雲雀は一つの流星となつてゐるのだ。(あれは僕ではない。だが、僕の心願の姿にちがひない。一つの生涯がみごとに燃焼し、すべての刹那が美しく充実してゐたなら……。)
「心願の国」原民喜(青空文庫)
原文を読む
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