夏の花(原民喜)のあらすじ・登場人物
八月六日の広島を見た目
- 社会
- 文字数
- 12,755字
- 読了目安
- 約26分
- 表記
- 新字旧仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 広島県
この作品について
原民喜が自らの被爆体験をもとに書いた小説で、1947年(昭和22)6月に『三田文学』へ発表された。原題は「原子爆弾」で、GHQの検閲を考慮して題と投稿先が改められたとされる。初出では一部が削られ、完全な形は1953年の『原民喜作品集』で公になった。作中の「私」は妻の墓参りで夏の花を手向けた後、広島で被爆する。感情を抑えた観察の文体が、原爆文学の代表作として評価されてきた。
あらすじ
八月十五日の妻の初盆を前に、「私」は街で黄色い夏の花を買い、父母と妻の眠る墓に手向ける。その二日後の八月六日の朝、厠にいたために一命を拾った「私」は、頭上の一撃と眼前の暗闇に見舞われ、パンツ一つのまま破壊された家から這い出す。妹や兄と再会し、火の手を避けて川べりへ逃れる道すがら、「私」は焼けただれ、水を求めてうごめく無数の負傷者や、変わり果てた死体の群れを目にする。人間の言葉では捉えきれないその光景を、「私」は片仮名の断片的な文字に書きとめずにはいられない。やがて郊外の八幡村へ移った一行のもとでも、火傷を負った者や被爆した甥が次々に髪を抜かし衰弱してゆく。妻を捜し求めて三日三晩、収容所や焼跡をさまよい歩く縁者Nの姿も重ねられ、原子爆弾がもたらした地獄が、抑制された筆致で克明に描き出される。
登場人物
- 私 語り手。原爆投下の直前に亡妻の墓へ花を手向け、八月六日、厠にいて一命を拾う。惨状を透徹した目で見つめ記録する
- 妹 崩れた家から私を助けに駆けつける
- 兄 一家をまとめ、郊外の八幡村へ避難させる
- 甥 建物疎開に動員された中学生。被爆後に帰宅するが、髪が抜け衰弱してゆく
- N 妻を捜して三日三晩、焼跡と収容所をさまよい歩く縁者
冒頭部(原文より)
私は街に出て花を買ふと、妻の墓を訪れようと思つた。ポケットには仏壇からとり出した線香が一束あつた。八月十五日は妻にとつて初盆にあたるのだが、それまでこのふるさとの街が無事かどうかは疑はしかつた。恰度、休電日ではあつたが、朝から花をもつて街を歩いてゐる男は、私のほかに見あたらなかつた。その花は何といふ名称なのか知らないが、黄色の小瓣の可憐な野趣を帯び、いかにも夏の花らしかつた。 炎天に曝されてゐる墓石に水を打ち、その花を二つに分けて左右の花たてに差すと、墓のおもてが何となく清々しくなつたやうで、私はしばらく花と石に視入つた。この墓の下には妻ばかりか、父母の骨も納まつてゐるのだつた。持つて来た線香にマツチをつけ、黙礼を済ますと私はかたはらの井戸で水を呑んだ。それから、饒津公園の方を廻つて家に戻つたのであるが、その日も、その翌日も、私のポケツトは線香の匂がしみこんでゐた。原子爆弾に襲はれたのは、その翌々日のことであつた。
「夏の花」原民喜(青空文庫)
末尾部(原文より)
Nはいたるところの収容所を訪ね廻つて、重傷者の顔を覗き込んだ。どの顔も悲惨のきはみであつたが、彼の妻の顔ではなかつた。さうして、三日三晩、死体と火傷患者をうんざりするほど見てすごした挙句、Nは最後にまた妻の勤め先である女学校の焼跡を訪れた。
「夏の花」原民喜(青空文庫)
名文
ギラギラノ破片ヤ 灰白色ノ燃エガラガ ヒロビロトシタ パノラマノヤウニ アカクヤケタダレタ ニンゲンノ死体ノキメウナリズム スベテアツタコトカ アリエタコトナノカ パツト剥ギトツテシマツタ アトノセカイ テンプクシタ電車ノワキノ 馬ノ胴ナンカノ フクラミカタハ ブスブストケムル電線ノニホヒ
被爆直後の広島を馬車で進む場面に挿入された片仮名の詩。「この辺の印象は、どうも片仮名で描きなぐる方が応はしい」との言葉どおり、現実とは思えない光景を乾いた片仮名で書き留める。
原文を読む
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