アプリで読む

無料・登録不要

二合五勺に関する愛国的考察(坂口安吾)のあらすじ・登場人物

欠配に耐える愛国者たち

  • 社会

坂口安吾 1947年(昭和22年)2月 「女性改造」

文字数
7,935字
読了目安
約16分
表記
新字新仮名
種別
随筆

この作品について

1947年(昭和22年)2月、「女性改造」に発表された坂口安吾の随筆。敗戦直後の配給米、二合五勺の欠配をきっかけに、江戸初期の切支丹殉教と、明治初期の浦上信徒が三合の食糧で棄教したという逸話を並べ、人間の信念とぐうたらな生身の関係を軽妙に語る。深刻さと諧謔を往き来する文体の、安吾らしい戦後随筆である。

あらすじ

(内容の要旨)安吾は、元和寛永のころの切支丹が火あぶりや熱湯責めに喜んで殉じ、穴吊しの発明で荘厳が失われて信徒が減ったと語りだす。幕末に大浦の天主堂へ浦上の隠れ信徒が現れ、明治になって捕らえられた数百人が、拷問には屈しなかったのに、一日三合という食糧の配給に耐えかねて一時に棄教を申し出た、という逸話が『浦上切支丹史』にある。これを聞いて、二合五勺の配給と二十日もの欠配に暴動ひとつ起こさない現代の日本人こそ、切支丹の殉教者以上に異常で壮烈な愛国者ではないか、と安吾は考える。人々は戦争中から宿命の子供として祖国と心中する気持ちになっており、今もそれが続いている。歴史は特殊な評価を強いるが、現実の人間はぐうたらで、夫婦喧嘩や三角くじを悔しがる存在にすぎない。そんな自分も「愛国者」だと気をよくしつつ、人間はぐうたらで、しかも偉大であるとして、読者の自信と自愛をうながす。

冒頭部(原文より)

 元和寛永のころというと、今から三百二三十年前のことだが、切支丹が迫害されておびたゞしい殉教者があったものだ。幕府の方針は切支丹を根絶しようというのだが、みんな殺そうというのではないので、転向すれば即座にかんべんしてくれるのだから、ひところの共産党の弾圧よりもらくだ。転向してもまだ何年か牢屋に入れておくということはやらぬ。そのかわり転向しないと必ず殺す。懲役二十年、十五年などとこまかく区別はつけず、例外なしに殺すのだから、全部か皆無か、さっぱりしていて、われわれの常識では、もっとも大いにあっさりと転向したろうとおもうと、そうではない。何万かの人間がもっとも大いによろこんで殺されたというから、勝手がちがうのである。

「二合五勺に関する愛国的考察」坂口安吾(青空文庫)

末尾部(原文より)

 算術の達人があらわれて、浦上切支丹の三合と、私の二合一勺との歴史的価値の差異軽重について意外な算式と答を見つけだしても、私はいっこうに悪びれないのは、私は算術の公式にない詭弁の心得があるからで、曰く、私は私だ、ということ、つぎに、すべては、たゞ人間だ、ということ、これである。  されば今日二合一勺のそのまた欠配に暴動を起さなかった諸嬢諸氏すべて偉大なる殉国者であり、その愛国の情熱はカイビャク以来のものであることを確信し、今日諸嬢諸氏の現身がいかほどぐうたらでだらしなくとも、断々乎として、自信、自愛せられんことを。げに人間はぐうたらであり、偉大であります。

「二合五勺に関する愛国的考察」坂口安吾(青空文庫)

原文を読む

原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。

青空文庫の図書カード

同じ作家の作品

近い作品