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処女作追懐談(夏目漱石)のあらすじ・登場人物

『猫』が生まれるまで

夏目漱石 1908年(明治41年)9月 「文章世界」

文字数
3,369字
読了目安
約7分
表記
新字新仮名
種別
随筆

この作品について

1908年9月、雑誌『文章世界』に載った漱石の談話。処女作と言えば『吾輩は猫である』だが、別に追懐するほどのこともないと断ったうえで、教師になった経緯、建築家から文学者へと志を変えたこと、ロンドンでの池田菊苗との出会い、虚子に勧められて『猫』を書いた事情を、淡々と語る。

あらすじ

処女作は『猫』だろうが、偶然ああいうものが出来たので、そういう時機に達していたというだけだと、漱石は言う。大学を出てまもなく外山正一に教師にならないかと勧められ、嘉納治五郎のもとで高等師範に勤めたのが生活の出発だった。十五六歳のころ文学を面白く思ったが、兄に職業にならないと叱られ、建築家を志す。ところが友人の米山保三郎に、セント・ポールズ大寺院のような建築は日本では残せない、文学の方が命があると説かれ、その晩のうちに文学者に鞍替えした。英文科を選んだが、卒業すると馬鹿が出来上がった気がし、ロンドン留学中は文学が嫌になった。そこで池田菊苗に会い、議論をして、組織だった研究をやろうと思い始める。帰国して大学に勤め、子規の死後、虚子に頼まれて『吾輩は猫である』を書き、一度きりのつもりが続きを望まれて長くなった。自分は何事にも積極的でなく、周囲の勧めで一つ一つの道を進んできたと振り返る。

冒頭部(原文より)

 私の処女作――と言えば先ず『猫』だろうが、別に追懐する程のこともないようだ。ただ偶然ああいうものが出来たので、私はそういう時機に達して居たというまでである。 というのが、もともと私には何をしなければならぬということがなかった。

「処女作追懐談」夏目漱石(青空文庫)

末尾部(原文より)

 文科に入ったのも友人のすすめだし、教師になったのも人がそう言って呉れたからだし、洋行したのも、帰って来て大学に勤めたのも、『朝日新聞』に入ったのも、小説を書いたのも、皆そうだ。だから私という者は、一方から言えば、他が造って呉れたようなものである。

「処女作追懐談」夏目漱石(青空文庫)

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