スタンダアルの文体(坂口安吾)のあらすじ・登場人物
筋で動く文体への共感
- 文字数
- 1,222字
- 読了目安
- 約2分
- 表記
- 新字新仮名
この作品について
1936年11月の「文芸汎論」に載った、約千二百字の短い文章。安吾はスタンダール(スタンダアル)の小説が人物の性格を描くことより、事件から事件へ動く線的な運びで人間を浮かび上がらせることを論じ、その「文体の方」に興味があると書く。性格描写に関心が薄い自分の文学観を重ねており、「風博士」でデビューして数年の安吾の考えを知る短文である。
あらすじ
安吾はスタンダールが好きだが、特に興味があるのは彼の文体だと始める。彼ほど人間の性格を眼中に入れなかった作家はいない。しかし性格を把握する能力が欠けていたわけではなく、「バイロン論」を読めば鋭い観察眼が分かる。彼は文学の野人で、筋書き的、線的な興味で書いた。だから作中の人物は固定された性格を与えられず、事件から事件へ動かされるうちに、性格などというケチな概念とかけはなれた相貌を明らかにする。彼の小説は一行ずつ動いて行き、百行のうちに二十人ほどの人物が線のように入り乱れたかと思うと、突然肉体と表情をもって浮き出る。それはスタンダールの天才だけに許された奇蹟で、直接模倣しても無意味だ。安吾は従来の文学が人間や人間関係の把握で行きづまっていることに不満を持つ。だからこういう革命的な文体も可能だと知ると、自分の文学の奇蹟を信じていいという気持になる。安吾自身も、人間の性格を書きたいとは思わない。
冒頭部(原文より)
私はスタンダアルが好きであるが、特に私に興味のあるのは、彼の文体の方である。 凡そ人間の性格を眼中に入れなかった作家といえば、スタンダアルほどその甚しいものはない。人間を性格的に把握しようとすることが彼の作品に皆無である。 然し彼には人を性格的に把握する能力が欠けていたわけではない。欠けているどころか人並以上に眼光が鋭く性格把握の能力が勝れているのは「バイロン論」を読めば分る。バイロン論と言ったって、実はバイロンとの交遊録で、バイロンの性格や人物だけを書いている。
「スタンダアルの文体」坂口安吾(青空文庫)
末尾部(原文より)
けれども私に興味のあるのは、こういう文体も可能であるということであった。全然性格を無視した人間の把握の仕方、常に事件の線的な動きだけで物語る文体、そういうものが百年前にもあったのである。それが直接私の文学の啓示にはならないまでも、そういう荒々しい革命的な文体すら可能であるということを知ると、私は自分の文学の奇蹟を強く信じ期待していいような元気のあふれた気持になる。私も人間の性格なぞはてんで書きたいと思わない。然しスタンダアルの描いた人間は平凡である。
「スタンダアルの文体」坂口安吾(青空文庫)
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。