推理小説について(坂口安吾)のあらすじ・登場人物
謎ときゲームの掟を説く
- 文字数
- 5,257字
- 読了目安
- 約11分
- 表記
- 新字新仮名
この作品について
1947年8月、東京新聞に二回に分けて載った探偵小説論。安吾は自分を謎ときゲームの愛好者と位置づけ、終戦後に読んだ横溝正史「蝶々殺人事件」と角田喜久雄「高木家の惨劇」を例に、日本の探偵小説の欠点を具体的に挙げる。人間性を不当にゆがめていないか、手がかりを読者から隠していないか、探偵が使う手がかりを読者にも示しているか、という三つの基準を軸に、探偵小説を娯楽として愛する安吾の立場を示す文章である。
あらすじ
探偵小説の愛好者として、終戦後の二、三の推理小説の感想を述べる、と始まる。横溝正史の「蝶々殺人事件」は日本最高の本格的秀作だが、そこから三つの欠点を取り出す。第一に、謎のために人間性を不当にゆがめていること。宝石を隠した場所を見られたからと、咄嗟に死体を縄でよじってつるすという手の込んだアリバイ作りは、人間として不自然だ。角田喜久雄「高木家の惨劇」も、人間性をゆがめ放題だと批判する。第二に、超人的推理に偏り、平凡な手がかりを黙殺していること。刑事なら当然つかむはずのアパートの荷物の出入りを作者が伏せているから、読者は犯人を当てられない。第三に、探偵が推定に使う手がかりは、解決編の前に読者にも知らされていなければならないこと。さらに探偵小説芸術論を唱える木々高太郎に対しては、肩を張らず娯楽でよいとし、文章の稚拙さ、衒学、複雑すぎる殺しの仕掛けを批判する。結びで、謎ときゲームとしての推理小説の根本ルールは、手がかりを全部読者に知らせることと、謎のために人間性を納得させ得ないムリをしないことだと述べる。
冒頭部(原文より)
探偵小説の愛好者としての立場から、終戦後の二、三の推理小説に就て、感想を述べてみよう。 横溝正史氏の「蝶々殺人事件」は終戦後のみならず、日本における推理小説では最も本格的な秀作で、大阪の犯行を東京の犯行と思わせるトリック、そのトリックを不自然でなく成立せしめる被害者のエキセントリックな性格の創造、まことによく構成されておって、このトリックの点では世界的名作と比肩して劣らぬ構成力を示している。 然し、敢てこの名作から三つの欠点をとりだして、一アマチュアの立場から、探偵小説全般の欠点に就て、不満と希望をのべてみたいと思う。
「推理小説について」坂口安吾(青空文庫)
末尾部(原文より)
今までの日本は、容疑者がすぐひっぱられる、自白だけで起訴される、全然探偵小説のできあがる条件がなかったのだが、こんどは物的証拠がなければ起訴し得ず、本人の自白だけではどうすることもできなくなって新憲法は探偵小説の革命的発展を約束づけているようなものだ。 以上の私の感想は、探偵小説を謎ときゲームとして愛好する一趣味家が、その趣味上からの感想をのべたにすぎないもので一アマチュアの感想にすぎない。 謎ときゲームとしての推理小説は、探偵が解決の手がゝりとする諸条件を全部、読者にも知らせてなければならぬこと、謎を複雑ならしめるために人間性を納得させ得ないムリをしてはならないこと、これが根本ルールである。
「推理小説について」坂口安吾(青空文庫)
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