推理小説論(坂口安吾)のあらすじ・登場人物
推理小説は知恵くらべだ
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- 7,385字
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- 約15分
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- 新字新仮名
この作品について
1950年4月の「新潮」に載った推理小説論。ドストエフスキーは探偵小説だというような「探偵小説芸術論」を暴論と退け、推理小説は芸術と無縁でよい高級娯楽、作者と読者の智恵くらべだと論じる。ポオからドイル、ガボリオ、ルルー「黄色い部屋」へと続くトリックの系譜を概観し、アガサ・クリスティやエラリー・クイーン、横溝正史らの作品を挙げて、合理的で確実なトリックと、読者へのフェアなヒントの与え方を論じる。戦後の日本推理小説界への提言でもある。
あらすじ
日本の探偵作家の間には探偵小説芸術論という風潮があり、ドストエフスキーは探偵小説だというような説まであるが、安吾はこれを暴論と呼ぶ。すぐれた文学は人間を突きつめて犯罪や戦争にたどり着くもので、犯罪は探偵小説の専売ではないという。推理小説は推理をたのしむ小説で、パズルを解く智恵くらべであり、芸術などと無縁な方がむしろ上質だと考える。探偵小説の祖はポオ、ドイルまでが初期で、現代の形式はガボリオのルコック探偵から始まり、密室もヴァン・ダインらによって常識になったと概観する。日本には探偵小説はあったが推理小説は殆どなく、小栗虫太郎はヴァン・ダインの悪い部分の模倣だと批判する。根からの推理作家としてはクリスティとクイーンを挙げ、日本では横溝正史が抜群で「蝶々殺人事件」は傑作だと述べる。トリックには必然性が要り、探偵が使う状況証拠は読者にも明示すべきだと説き、短篇では推理小説の面白さは味わえないとも言う。最後に、愛好家は職業作家をめざさず道楽として工夫を楽しみ、推理小説では合作が向くと勧める。
冒頭部(原文より)
日本の探偵作家の間に、探偵小説芸術論という一風潮があって、ドストエフスキーは探偵小説だというような説があるが、こういうのを暴論と称する。 すべて、すぐれた文学は人間をトコトンまで突きつめていくものだから、犯罪、それから、戦争、という大きな崖に突きあがってしまう。これは当然の成行で、犯罪や戦争は人間の追求から必然的に到達するものであり、決して犯罪は探偵小説の専売ではない。又、犯罪を取り扱うに当って、それが人間追求の手段としてであっても、読者の興をひくために探偵趣味をそそるような展開法を用いるのも、文学本来の技巧であって、バルザックやドストエフスキーはこういう手法の名手でもあった。谷崎、芥川、佐藤春夫なども、小型ではあるが、この技法を縦横に使いこなしている。だいたい小説に於て「おあとは如何になりゆくか」
「推理小説論」坂口安吾(青空文庫)
末尾部(原文より)
諸氏にして謎ときゲームのおもしろさを覚えられたなら、おのずから、拙者もひとつ新トリックを工夫して、未見の友に挑戦してやろうというボツボツたる雄心を起すに相違ない。クリスチー、クィーン、横溝ほどの天才がない限り、職業作家になっても、忽ちトリックに行き詰ってマンネリズムに落込むばかりだから、片手間にトリックの発明を楽しみ、職業作家になろうなどと思わず道楽として斯道に精進されるよう、おすすめしたい。又、推理小説に限って、合作する方が名作が生れやすい。一面的な欠点がのぞかれ、多角的に観察され構成されて、トリックも発育し、マンネリズムに堕し易い欠点ものぞかれるのである。三人よれば文殊の智恵というのは、推理小説の場合は、最も当てはまるのである。
「推理小説論」坂口安吾(青空文庫)
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