鶴は病みき(岡本かの子)のあらすじ・登場人物

芥川をしのぶ鎌倉のひと夏

作者
岡本かの子
発表
1936年(昭和11年)6月
初出
文学界
種別
小説
ジャンル
  • 心理
舞台
  • 神奈川県
文字数
26,495字
読了目安
約53分
表記
新字新仮名

この作品について

岡本かの子が1936年(昭和11年)に「文学界」へ発表した小説家としての実質的な処女作。夭折した文学者・麻川荘之介(芥川龍之介がモデル)との交流に材を採り、鎌倉で同宿したひと夏の思い出を、女主人公・葉子の追懐として描く。繊細で神経を病んだ麻川の姿と、彼を清らかに慕う葉子の心の交わりを、白梅と夏の鎌倉の情景に重ねて綴る。芥川の死をめぐる哀惜を込めた、かの子文学の出発点となった作品である。

あらすじ

白梅の咲く頃になると、葉子は決まって、今は亡き文学者・麻川荘之介のことを想い出さずにはいられない。大正期の文壇に輝いた麻川が自ら命を絶ってから、すでに八年余りが過ぎていた。麻川の秀麗な痩身と清澄な心性は、葉子の心のなかで白梅の姿と結びついている。だが葉子がもっとも深く麻川を偲ぶのは、鎌倉で過ごした夏の盛りの日々のことだ。麻川が自殺する五年前のひと夏、葉子たち一家は避暑のために鎌倉雪ノ下のホテルに滞在し、そこで同宿した麻川と親しく交わった。神経を病み、繊細に過ぎるほど鋭敏な感受性を持つ麻川は、時に気難しく、時に子供のように無邪気なさまを見せながら、葉子たちとひと夏を共に過ごす。葉子は彼の才気と孤独に惹かれつつも、決して踏み越えることのない清らかな敬慕の情をもって彼に接する。やがて夏は終わり、それぞれの暮らしへと戻った後も、二人のあいだにはかすかな心の糸が保たれていた。しかし、熱海へ梅を観に行く途上で葉子が麻川と交わした再会の約束は、ついに果たされることなく終わる。その年の七月、麻川は自ら世を去った。世人はさまざまな理由をその死にあてはめたが、葉子の哀惜は歳月とともにかえって深まってゆく。約束を果たさなかった悔いと、もし再び逢っていればあるいは彼の運命も違ったのではないかという嘆きを胸に、葉子は白梅と夏の鎌倉を想い続けるのである。

人物相関図

崇拝と反発が同居する隣人良人。戯画家戯画に秘事を使いしこりを残す「荘ちゃん」と呼び部屋を支配する水泳の腕を試す計劃を立てる神経に触れうる数少ない相手立ち聞き癖を指摘する三味線を持って東京から来る麻川の粗探しを告げ口する麻川の名を告げる叔母さん五十近い、なりふり古風で常識的な女性さかもと坂本葉子の良人。戯画家。寡黙な常識人おおかわかくこ大川赫子耽美派作家の妻君の妹。「お転婆さん」画家K氏松葉杖をつく隻脚の画家。吃々として多く語らずいとこ従妹葉子と同宿する若い従妹。実際家でしっかり者ようこ葉子短歌から転じて小説を書きはじめた語り手あさかわそうのすけ麻川荘之介大正期の文壇に輝いた文学者。秀麗な痩躯長身おこまお駒H屋譜代の婆や。開けっぱなしの声H屋の若主人鎌倉の宿の主。夫婦で賄いをする
人物の関係を整理した相関図(アプリ収録の図をそのまま掲載しています)

章ごとの「厳選あらすじ」

アプリでは、この作品を次の章立てで詳しく読めます(全文はアプリ内)。

  1. 一 この作品について
  2. 二 主要人物
  3. 三 主要なサブキャラクター
  4. 四 発端──隣の棟の文士
  5. 五 鎌倉日記のはじまり──親愛と不可解
  6. 六 うしろ暗さ──立ち聞きと客の数
  7. 七 美人問答──「自己満足の創痍」
  8. 八 星の夜──生死をめぐる対話
  9. 九 海水浴場の計略──夏の終わり
  10. 十 五年後──熱海行きの汽車
  11. 十一 結末──一羽の鶴と、その年の七月
  12. 十二 重要な設定と伏線

冒頭部(原文より)

 白梅の咲く頃となると、葉子はどうも麻川荘之介氏を想い出していけない。いけないというのは嫌という意味ではない。むしろ懐しまれるものを当面に見られなくなった愛惜のこころが催されてこまるという意味である。わが国大正期の文壇に輝いた文学者麻川荘之介氏が自殺してからもはや八ヶ年は過ぎた。

『鶴は病みき』岡本かの子(青空文庫)

末尾部(原文より)

 また画家K氏のT誌に寄せた文章に依れば、麻川氏はその晩年の日記に葉子を氏の知れる婦人のなかの誰より懐しく聡明なる者としてさえ書いて居る。それが葉子の思いを一層切実にさせるというのは葉子は熱海への汽車中、氏に約した会見を果さなかった、氏と約した通り氏に遇い氏が仮りにも知れる婦人の中より選び信じ懐かしんで呉れた自分が、鎌倉時代よりもずっと明るく寛闊に健康になった心象の幾分かを氏に投じ得たなら、あるいは生前の氏の運命の左右に幾分か役立ち、あるいは氏の生死の時期や方向にも何等かの異動や変化が無かったかも期し難いと氏の死後八九年経た今でもなお深く悔い惜しみ嘆くからである。これを葉子という一女性の徒らなる感傷の言葉とのみ読む人々よ、あながちに笑い去り給うな。

『鶴は病みき』岡本かの子(青空文庫)

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