美しき死の岸に(原民喜)のあらすじ・登場人物
澄みきった時刻の悲しみ
- 文字数
- 9,746字
- 読了目安
- 約19分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
この作品について
原民喜が妻の死を見つめて書いた連作の一つ。病床の妻を思いながら、図書館の窓の風にうっとりと魅せられ、澄みきった時間と死の気配を感じとる。静かな叙情のなかに、迫る死への祈りが込められた短編。
あらすじ
生温かい底に冷気を含んだ空気が、図書館の窓から流れてきて、彼の頬に触れる。凝と頬をあてていると、世界は澄みきっているのではないかと思い、この澄みきった時刻がこんなに悲しく心にしみるのはなぜだろうと考える。屋根を見るうち、少し離れた自分の家と、容態のおもわしくない妻の姿が浮かぶ。妻は長い病床生活のなかで澄みきった世界で呼吸することも身につけているようだが、荒々しいものや暴れ狂うものは、毎日家の塀の外まで押し寄せていた。やがて昏睡のまま呻く妻の声は次第に衰え、一うねり高まって息が絶える。
冒頭部(原文より)
何かうっとりさせるような生温かい底に不思議に冷気を含んだ空気が、彼の頬に触れては動いてゆくようだった。図書館の窓からこちらへ流れてくる気流なのだが、凝と頬をその風にあてていると、魂は魅せられたように彼は何を考えるともなく思い耽っているのだった。一秒、一秒の静かな光線の足どりがここに立ちどまって、一秒、一秒のひそやかな空気がむこうから流れてくる。世界は澄みきっているのではあるまいか。それにしても、この澄みきった時刻がこんなにかなしく心に泌みるのはどうしたわけなのだろう……。
「美しき死の岸に」原民喜(青空文庫)
末尾部(原文より)
彼は妻の枕頭に坐ったまま、いつまでも凝としていた。時間は過ぎて行き、庭の方に朝の陽が射して来た。あたりの家々からも物音や人声がして、その日は外界はいつもと変りない姿であった。昏睡のままうめき声をつづけている妻に「死」が通過しているのだろうか。いつかは、妻とそのことについてお互に話しあえそうな気もした。だが、妻のうめき声はだんだん衰えて行った。やがて、その声は一うねり高まったかと思うと、息は杜絶えていた。 (昭和二十五年四月号『群像』)
「美しき死の岸に」原民喜(青空文庫)
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。