私は誰?(坂口安吾)のあらすじ・登場人物
書くことは生きること
- 文字数
- 6,584字
- 読了目安
- 約13分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 随筆
この作品について
座談会に五回もひっぱり出された坂口安吾が、「文学は語るものではなく書くものだ」と述べた随筆。太宰治・織田作之助との座談会の思い出、牧野信一や豊島与志雄ら居候仲間への愛着、尾崎士郎との決闘騒ぎなど文壇の人々の素顔が愉快に語られる。後半は文学者が深刻ぶることへの反発から、書くことは生きることだという安吾の創作観へ進み、「私は誰。私は愚か者。私は私を知らない。それが、すべて。」の一節で結ばれる。
あらすじ
この一ヶ月に五回も座談会に出た筆者は、文学は語るものではなく書くものだと言う。林芙美子、太宰治、織田作之助らとの座談会で酔って放言した思い出や、二十七歳のころ同人誌「文科」で牧野信一、小林秀雄、河上徹太郎らと飲んだ日々が語られる。屋根裏に住み、居候のところへ居候する暮らしの愉快さや、尾崎士郎に決闘を申し込まれて酒を飲み明かした話も添えられる。文士が深刻な顔をしなければならないのは書斎の中だけで、文学は俗悪なものだと筆者は言う。ベイル(スタンダール)が五十年後に理解されると言ったことを、死後に読まれるなど幽霊にすぎない、と一蹴する。筆者は自分の小説を書き捨て、「これから」の中に生きており、書くこと自体が生活である。自分は自分を知らないからこそ書くのだと述べ、短い自問で文章を結ぶ。
冒頭部(原文より)
私はこゝ一ヶ月間に五回も座談会にひっぱりだされて困った。考えながら書いている小説家が喋ったところで、ろくなことは喋る筈がない。アイツは好きだ、とか、嫌いだとか、馬鹿げたことだ。 文学者は、書いたものが、すべてゞはないか。 私は座談会には出たくないが、石川淳が一足先に座談会には出席しないというカンバンをあげたので、同じカンバンをあげるのも芸がないから、仕方なしに出席するのだけれども、ろくなことはない。
「私は誰?」坂口安吾(青空文庫)
末尾部(原文より)
私はたゞ、うろついているだけだ。そしてうろつきつゝ、死ぬのだ。すると私は終る。私の書いた小説が、それから、どうなろうと、私にとって、私の終りは私の死だ。私は遺書などは残さぬ。生きているほかには何もない。 私は誰。私は愚か者。私は私を知らない。それが、すべて。
「私は誰?」坂口安吾(青空文庫)
原文を読む
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