続芭蕉雑記(芥川龍之介)のあらすじ・登場人物
したたか者・芭蕉の肖像
- 文字数
- 1,937字
- 読了目安
- 約4分
- 表記
- 新字旧仮名
- 種別
- 随筆
この作品について
「芭蕉雑記」の続編にあたる短い随想。「人」「伝記」「芭蕉の衣鉢」の三章で、芭蕉を「世渡りにも長けたしたたか者」であり、無常観を抱えた「やぶれかぶれの勇に富んだ」詩人として描き、一茶や惟然にまで芭蕉の流れを見る。「文藝春秋」1927年8月に掲載された。
あらすじ
一「人」では、芭蕉の俳諧が当時はいかにモダンだったかを述べ、「ひやひやと壁をふまへて昼寝かな」の「壁をふまへて」が漢語から取られた成語であることを例に挙げる。また芭蕉は、天才的であると同時に世渡りにも長けた苦労人で、門人たちを籠絡する手腕もあり、「夏山に足駄を拝む首途かな」のような句を作る「したたか者」だったと見る。その無常観も弱々しい感傷ではなく、やぶれかぶれの勇に富んだ一本道だという。二「伝記」では、不義をして伊賀を出奔し、江戸の遊里に出入りしながら大詩人になったと大づかみに記し、西行ほどの肉体的・神経的エネルギーはなかったが、俳諧という「一生の道の草」を残した人だとする。三「芭蕉の衣鉢」では、その血が生活の面で信濃の一茶に伝わったとし、門人の惟然の風狂にも、芭蕉に及ばなかった詩人の慟哭を読み取る。
冒頭部(原文より)
僕は芭蕉の漢語にも新しい命を吹き込んだと書いてゐる。「蟻は六本の足を持つ」と云ふ文章は或は正硬であるかも知れない。しかし芭蕉の俳諧は度たびこの翻訳に近い冒険に功を奏してゐるのである。日本の文芸では少くとも「光は常に西方から来てゐた。」芭蕉も亦やはりこの例に洩れない。芭蕉の俳諧は当代の人々には如何に所謂モダアンだつたであらう。
「続芭蕉雑記」芥川龍之介(青空文庫)
末尾部(原文より)
僕はこの句を惟然の作品中でも決して名句とは思つてゐない。しかし彼の風狂はこの句の中にも見えると思つてゐる。惟然の風狂を喜ぶものは、――就中軽妙を喜ぶものは何とでも勝手に感服して善い。けれども僕の信ずる所によれば、そこに僕等を動かすものは畢に芭蕉に及ばなかつた、芭蕉に近い或詩人の慟哭である。若し彼の風狂を「とり乱してゐる」と言ふ批評家でもあれば、僕はこの批評家に敬意を表することを吝まないであらう。
「続芭蕉雑記」芥川龍之介(青空文庫)
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