続西方の人(芥川龍之介)のあらすじ・登場人物
芥川が見たキリストの姿
- 文字数
- 8,415字
- 読了目安
- 約17分
- 表記
- 新字旧仮名
この作品について
芥川龍之介の遺稿で、「西方の人」の続編。キリストを「万人の鏡」と見て、新約聖書の四福音書に現れる姿を二十二の短い章で論じる。ジャーナリスト、共産主義者、無抵抗主義者などさまざまな呼び名でキリストを捉え、マリアの心もちや弟子たちの無理解に注目する。末尾に昭和2年7月23日の日付があり、芥川の自死の前日にあたる。
あらすじ
冒頭の章は、クリストを「万人の鏡」と呼び、雑誌の締め切りで中途になった前稿を補う意図を述べる。以下、ヨハネ・マタイ・マコ・ルカという四人の伝記作者の違い、共産主義者や無抵抗主義者としての面、断食のあと忽ちジャーナリストになったという「最速度の生活者」としての見方、収入や財布の話などを短い章で重ねる。十二歳のクリストを探して神殿で見つけたマリアの心もち、洗礼者ヨハネの言葉、弟子たちの足を洗うクリスト、サドカイとパリサイの徒、カヤパ、二人の盗人、兵卒たちなど、場面と人物を一つずつ取り上げる。「どうしてお前たちはわからないか」という歎声や、人間を理解しながら自分自身を理解できなかった最大の矛盾を挙げ、最後の章でクリストを、古今に珍しいジャーナリストであり、天才であったとして結ぶ。
冒頭部(原文より)
1 再びこの人を見よ クリストは「万人の鏡」である。「万人の鏡」と云ふ意味は万人のクリストに傚へと云ふのではない。たつた一人のクリストの中に万人の彼等自身を発見するからである。わたしはわたしのクリストを描き、雑誌の締め切日の迫つた為にペンを抛たなければならなかつた。今は多少の閑のある為にもう一度わたしのクリストを描き加へたいと思つてゐる。誰もわたしの書いたものなどに、――殊にクリストを描いたものなどに興味を感ずるものはないであらう。しかしわたしは四福音書の中にまざまざとわたしに呼びかけてゐるクリストの姿を感じてゐる。わたしのクリストを描き加へるのもわたし自身にはやめることは出来ない。
「続西方の人」芥川龍之介(青空文庫)
末尾部(原文より)
しかし彼のジヤアナリズムはいつも無花果のやうに甘みを持つてゐる。彼は実にイスラエルの民の生んだ、古今に珍らしいジヤアナリストだつた。同時に又我々人間の生んだ、古今に珍らしい天才だつた。「予言者」は彼以後には流行してゐない。しかし彼の一生はいつも我々を動かすであらう。彼は十字架にかかる為に、――ジヤアナリズム至上主義を推し立てる為にあらゆるものを犠牲にした。ゲエテは婉曲にクリストに対する彼の軽蔑を示してゐる。丁度後代のクリストたちの多少はゲエテを嫉妬してゐるやうに。――我々はエマヲの旅びとたちのやうに我々の心を燃え上らせるクリストを求めずにはゐられないのであらう。
「続西方の人」芥川龍之介(青空文庫)
名文
我々はエマヲの旅びとたちのやうに我々の心を燃え上らせるクリストを求めずにはゐられないのであらう。
遺稿となった『続西方の人』の結びの一文。エマオへの道で復活のキリストに出会った弟子たちに自らを重ねた、芥川の最晩年の言葉。
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。