小栗風葉の生涯と代表作
青春を書いた人
- 生没
- 1875–1926
- 出身
- 愛知県
- 文学史
- 擬古典主義
- 自然主義
- Wikipedia
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略歴
1875年(明治8年)、愛知県知多郡半田村(現・半田市)に薬種商の長男として生まれる。本名は加藤磯夫(旧姓・小栗)。少年期から江戸の稗史小説に親しみ、1891年(明治24年)に上京して尾崎紅葉の硯友社に入門、泉鏡花・徳田秋声・柳川春葉らと並ぶ紅葉門下の逸材として頭角を現した。師の雅俗折衷の文体を受け継ぎつつ、しだいに田山花袋ら自然主義の影響を受けて写実へ傾き、庶民の生活を細やかに描く作風を確立した。1905~1906年(明治38~39年)に読売新聞へ連載した『青春』三部作は青年層に広く読まれ、代表作となった。ほかに「深川女房」「恋慕ながし」などがある。1900年(明治33年)に豊橋の素封家の娘と結婚して婿養子となり、晩年は豊橋に隠棲。1926年(大正15年)、心嚢炎と肺炎を併発して50歳で没した。