世間師(小栗風葉)のあらすじ・登場人物
渡り者に養われた放浪の日々
- 社会
- 心理
- 文字数
- 17,378字
- 読了目安
- 約35分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
この作品について
小栗風葉が1908年(明治41年)10月、『中央公論』に発表した短編。自然主義へ傾いた時期の作で、青年期の放浪を思わせる一人称の回想の形をとる。二十歳前の「私」が気まぐれに家を飛び出し、路銀の尽きた港町の木賃宿で、六文銭で吉凶を占う次第書を売り歩く若い渡り者「銭占屋」に助けられる。同宿には偽の万年筆を作って売る夫婦者もいる。旅から旅へ流れる「世間師」たちの暮らしを、木賃宿の日常に即して写実的に描く。
あらすじ
まだ二十歳前の「私」は、気まぐれに家を飛び出して当てもなく放浪するうち、故郷から二百里も離れた港町で路銀を使い果たしてしまう。宿も取れず飯も食えず、働き口を頼んでも旅の者では相手にされない。行き倒れそうになりながら夜の町外れをさまよい、車夫に教わって場末の貧民窟の木賃宿・山本屋に泊まる。垢じみた襤褸布団と蚤虱に苦しみながら明かした翌朝、路銀は五厘銅貨一つきり。途方に暮れる「私」に手を差し伸べたのが、同宿の若い渡り者・銭占屋だった。銭占屋は六文銭で吉凶を占う次第書を町の盛り場で売って稼ぐ気楽な独り身で、「旅へ出りゃお互いさ、世間師仲間じゃ当前のことだ」と言って、「私」を一月あまりも養ってくれる。同宿には偽の万年筆を作って売り歩く万年屋の夫婦もいた。二人は元の百姓に戻ろうと金を貯めていたが、預金先の銀行が支払停止と聞いて亭主が郷里へ発つ。その留守が十日にも延びるうち、亭主に養われる女房はしだいに銭占屋に情を寄せ、同宿の者に二人の仲を噂される。帰ってきた万年屋は皆に嘲られ、袋叩きにされて追い出され、女房と銭占屋は結ばれた。だがある朝、銭占屋は突然「向地へ渡る」と言い出す。旅から旅へ流れ渡る身に女は連れられぬと、女房に元の亭主のもとへ戻るよう説き、「私」には五十銭を、女房にも五十銭を与えて船着場から発っていった。銭占屋は「私」に、旅暮らしの果てに犬猫同然どこの土になるとも知れぬ寂しさを漏らし、早く故郷の親のもとへ帰れと諭す。やがて女房は貰った五十銭が尽きると三州屋の亭主のもとへ転がり込み、元の鞘に収まった万年屋夫婦はどこかへ去った。銭占屋は約束どおり、十五里も先の町から張替屋に托して「私」に二円を送ってくれた。「私」は翌日、故郷へ向けて旅立つ。
登場人物
- 私(書生さん) 二十歳前の青年。家を飛び出して放浪し、路銀の尽きた港町の木賃宿に泊まる語り手。同宿の者から「書生さん」と呼ばれる
- 銭占屋 若い渡り者(世間師)。六文銭で吉凶を占う次第書を売り歩いて気楽に暮らす。困窮した「私」を一月あまり養うが、自由な独り身の旅暮らしを何より重んじる
- 万年屋 同宿の偽万年筆売り。妻とともに元の百姓に戻ろうと金を貯めており、銀行の支払停止を案じて郷里へ発つ
- 万年屋の女房 万年屋の妻。夫の留守中に銭占屋に養われ、しだいに情を通わせる
- 山本屋の上さん 木賃宿・山本屋の女房。無愛想でてきぱきとした女将
冒頭部(原文より)
それは私がまだ二十前の時であった。若気の無分別から気まぐれに家を飛びだして、旅から旅へと当もなく放浪したことがある。秋ももう深けて、木葉もメッキリ黄ばんだ十月の末、二日路の山越えをして、そこの国外れの海に臨んだ古い港町に入った時には、私は少しばかりの旅費もすっかり払きつくしてしまった。町へ着くには着いても、今夜からもう宿を取るべき宿銭もない。いや、午飯を食うことすらできないのだ。昨夜は夜通し歩いて、今朝町の入口で蒸芋を一銭がとこ求めて、それでとにかく朝は凌いだ。握飯でもいい、午は米粒にありつきたいのだが、蝦蟇口にはもう二銭銅貨一枚しか残っていない。
「世間師」小栗風葉(青空文庫)
末尾部(原文より)
万年屋の女房はすっかり悄げ返っていたが、銭占屋に貰った五十銭が尽きると、間もなく三州屋にいるその亭主の所へ転げこんだ。で、元の鞘に収った万年屋夫婦は、白と千草の風呂敷包を二人で背負分けてどこへか行ってしまった。 銭占屋は二三日と私に約束して行ったが、遅れて七日めに、向地から渡ってきた蝙蝠傘の張替屋に托して二円送てくれた。向地は思のほかの不景気なところから、銭占屋は今十五里も先の何やら町へ行っていて、そこから托されてきたとのことであった。 私は翌日故郷へ向けて出立した。
「世間師」小栗風葉(青空文庫)
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。