一兵卒(田山花袋)のあらすじ・登場人物
名もなき兵の孤独な行軍
- 社会
- 心理
- 文字数
- 11,656字
- 読了目安
- 約23分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
この作品について
田山花袋が1908年(明治41年)、「早稲田文学」に発表した短編小説。作者自身が従軍記者として体験した日露戦争に取材している。脚気を患いながら野戦病院を出て、隊を追う一人の一兵卒の道行きを、感傷を排した即物的な描写で追う。英雄的な戦争美談とは対極にある名もなき兵士の姿を描いた作品で、「蒲団」と並ぶ花袋の自然主義文学の到達点とされ、日本近代文学における反戦文学の先駆としても知られる。
あらすじ
日露戦争の満州の戦線。脚気を患って野戦病院に収容されていた一人の兵卒は、後方でいたずらに時を過ごすことに耐えきれず、軍医の制止を振り切って病院を抜け出し、隊を追って独り歩き出す。銃も背嚢も脚も重く、病はいっこうに癒えず、全身を悪熱と悪寒が絶えず往来する。鉄道の線路を頼りによろめき進むうち、彼の容体はいよいよ悪化していく。行き会う輜重兵にすがるようにして、ようやくたどり着いた鞍山站の兵站部で介抱を受けるものの、苦痛はやまず、意識は少しずつ混濁していく。蝋燭の灯のちらつく夜、蟋蟀のさびしい声を聞きながら、一兵卒は誰にも看取られぬまま息を引き取る。夜明けに兵站部の軍医が駆けつけたときには、彼はすでに一時間前に事切れていた。折しも遼陽総攻撃の砲声が盛んに鳴り響きはじめる――国家の大きな戦の陰で、一人の兵士がひっそりと迎える孤独でみじめな死を、花袋は感傷を排した徹底した即物描写で刻みつけた。
登場人物
- 渠(一兵卒) 脚気を病みながら野戦病院を抜け出し、隊を追う名もなき一兵卒。病身をおして戦線へ戻ろうとするが、力尽きて誰にも看取られず孤独に息絶える
- 兵站部の軍医 鞍山站の兵站部で兵卒を介抱しようとするが、その死には間に合わなかった
冒頭部(原文より)
渠は歩き出した。 銃が重い、背嚢が重い、脚が重い、アルミニウム製の金椀が腰の剣に当たってカタカタと鳴る。その音が興奮した神経をおびただしく刺戟するので、幾度かそれを直してみたが、どうしても鳴る、カタカタと鳴る。もう厭になってしまった。 病気はほんとうに治ったのでないから、息が非常に切れる。全身には悪熱悪寒が絶えず往来する。頭脳が火のように熱して、顳がはげしい脈を打つ。なぜ、病院を出た? 軍医があとがたいせつだと言ってあれほど留めたのに、なぜ、病院を出た?
「一兵卒」田山花袋(青空文庫)
末尾部(原文より)
蝋燭がちらちらする。蟋蟀が同じくさびしく鳴いている。 黎明に兵站部の軍医が来た。けれどその一時間前に、渠は既に死んでいた。一番の汽車が開路開路のかけ声とともに、鞍山站に向かって発車したころは、その残月が薄く白けて淋しく空にかかっていた。 しばらくして砲声が盛んに聞こえ出した。九月一日の遼陽攻撃は始まった。
「一兵卒」田山花袋(青空文庫)
原文を読む
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