深川女房(小栗風葉)のあらすじ・登場人物
三年ぶりの盃と昔なじみ
- 恋愛
- 心理
- 文字数
- 28,535字
- 読了目安
- 約57分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 東京都
この作品について
1905年(明治38年)3月、『新小説』に発表された小栗風葉の短編。深川八幡前の鳥料理屋で、お光と金之助が三年ぶりに差し向かいで酒を飲んでいる。海へ出たきり消息のなかった男と、留守のあいだに暮らしの変わった女。幼なじみの気安い思い出話の中へ、知らずにいた年月が少しずつ入り込む。物語は、再会を喜ぶ会話を中心に、二人の身の上と、かつて口に出せなかった気持ちを浮かび上がらせていく。着物や帯、髪形の細かな描写が、鳥料理の煮える音とともに、向き合う男女の姿を眼前に据える。下町のくだけた言葉には、相手への親しさも、傷つけまいとする取り繕いも表れ、笑顔や沈黙が台詞の意味を変える。女性の年齢や結婚をめぐる周囲の見方も、お光自身の言葉で語られる。昔と同じように話せることと、同じ関係ではいられないことの隔たりを、会話と身振りから描く作品である。
あらすじ
深川八幡前の鳥屋の二階で、若妻お光は三年ぶりに昔なじみの金之助と差し向かいで酒を酌み交わしていた。金之助は膃肭獣を追って海に出たきり消息を絶ち、死んだものと思われていた男。露西亜船に捕らえられ島に取り残されるなどの苦難を経て、生きて帰ってきたのである。かつて互いに想いを寄せた仲だったが、父を亡くし頼る者もなかったお光は、金之助の死を信じて去年の秋、深川清住町の魚屋・吉田新造のもとへ嫁いでいた。再会に胸をざわめかせながらも、お光は人妻としての一線を守ろうとする。おりしも夫の新造は重い病の床にあった。お光は再燃しかける金之助への想いを断ち切るように、また下町女の意地から、器量よしの娘お仙を金之助に縁づけようと、お仙の母や金之助のあいだを幾度も行き来して縁談をまとめにかかる。やがて新造は、お光にまだ若いのだから再び嫁ぐようにと遺言して息を引き取る。葬儀のあと、独り位牌に向かう若後家のお光に、店の若衆の為さんが「自分を二度目の亭主に」と下卑た言い寄りをしてくる。お光は香炉を叩きつけて家を飛び出すと、その足で霊岸島の船宿へ駆けつけ、金之助を否応なく説き伏せて、その晩のうちにお仙との仮盃を急がせるのだった。
登場人物
- お光 深川の魚屋・吉田新造に嫁いだ若妻。かつて金之助と想いを寄せ合った下町育ちの気丈な女
- 金之助(金さん) お光の昔なじみ。膃肭獣猟師として海に出たまま死んだと思われていたが、三年ぶりに帰郷する
- 吉田新造(新さん) お光の夫。深川清住町の魚屋。重い病に臥し、お光に再婚を遺言して世を去る
- 新五郎 新造の父。佃島で魚屋を営む
- お仙 お光が金之助に縁づけようとする器量よしの娘
- 為さん 新造の店の若衆。新造の死後、後家となったお光に下卑た言い寄りをする
冒頭部(原文より)
深川八幡前の小奇麗な鳥屋の二階に、間鴨か何かをジワジワ言わせながら、水昆炉を真中に男女の差向い。男は色の黒い苦み走った、骨組の岩畳な二十七八の若者で、花色裏の盲縞の着物に、同じ盲縞の羽織の襟を洩れて、印譜散らしの渋い緞子の裏、一本筋の幅の詰まった紺博多の帯に鉄鎖を絡ませて、胡座を掻いた虚脛の溢み出るのを気にしては、着物の裾でくるみくるみ喋っている。女は二十二三でもあろうか、目鼻立ちのパラリとした、色の白い愛嬌のある円顔、髪を太輪の銀杏返しに結って、伊勢崎の襟のかかった着物に、黒繻子と変り八反の昼夜帯、米琉の羽織を少し抜き衣紋に被っている。
「深川女房」小栗風葉(青空文庫)
末尾部(原文より)
お光はいきなり小机の上の香炉を取って、為さんの横ッ面へ叩きつけると、ヒラリ身を返して、そのまま表へ飛び出したのである。 飛び出して、その足ですぐ霊岸島の下田屋へ駈けつけたお光は、その晩否応なしに金之助を納得させて、お仙と仮盃だけでも急に揚げさせることにした。
「深川女房」小栗風葉(青空文庫)
原文を読む
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