島村抱月の生涯と代表作
新劇に生きた理論家
- 生没
- 1871–1918
- 出身
- 島根県
- 文学史
- 自然主義
- Wikipedia
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略歴
1871年(明治4年)、島根県那賀郡小国村(現・浜田市)生まれ。本名は佐々山瀧太郎。貧しい家に育ち、十代のなかばから自ら世波と闘いながら苦学し、東京専門学校(現・早稲田大学)で坪内逍遥に学んだ。卒業後は母校の講師・教授を務め、イギリス・ドイツ留学を経て「早稲田文学」を復刊・主宰。「囚はれたる文芸」「文芸上の自然主義」などの評論を発表して日本の自然主義文学の理論的支柱となり、明治末の文壇に大きな影響を与えた。1906年(明治39年)には逍遥とともに文芸協会を設立して新劇運動を推し進め、イプセン「人形の家」を訳出・上演する。ノラを演じた女優・松井須磨子との恋愛が問題となって協会を去り、1913年(大正2年)、須磨子とともに劇団・芸術座を結成した。トルストイ「復活」の脚色上演は劇中歌「カチューシャの唄」とともに全国的な流行となり、近代劇を広い観客へ届けた。1918年(大正7年)、流行性感冒(スペイン風邪)から急性肺炎を併発して47歳で急逝。翌年、須磨子も後を追って自ら命を絶った。
収録作品
- 今の写生文 1907年(明治40年)3月
- 序に代えて人生観上の自然主義を論ず 1909年(明治42年)6月
- 『人形の家』解説 1913年(大正2年)4月
翻訳・現代語訳
- 人形の家 1910年(明治43年)1月