チェーホフの名文
チェーホフの作品から、よく知られた一節を集めました。
14件
桜の園
はるか遠くで、まるで天から響いたような物音がする。それは弦の切れた音で、しだいに悲しげに消えてゆく。ふたたび静寂。そして遠く庭のほうで、木に斧を打ちこむ音だけがきこえる。
チェーホフ『桜の園』の幕切れ。弦の切れるような音と、桜の木を切る斧の音が、一つの時代の終わりを告げる象徴的な場面。
ワーニャ伯父さん
そして、もし千年ののち人間が仕合せになれるものとすれば、僕の力も幾分はそこらに働いているわけなのだと、そんな気がしてくるのだ。
第一幕、森を守り木を植え続ける医師アーストロフの言葉。田舎の閉塞の中で、はるか未来の人々の幸福に希望を託すチェーホフらしい台詞。
ね、ワーニャ伯父さん、生きていきましょうよ。長い、はてしないその日その日を、いつ明けるとも知れない夜また夜を、じっと生き通していきましょうね。
幕切れ近く、元の暮らしに戻った屋敷で、姪のソーニャが伯父を慰める言葉。神西清の訳で広く知られた、チェーホフ劇屈指の結び。
でも、もう少しよ、ワーニャ伯父さん、もう暫くの辛抱よ。……やがて、息がつけるんだわ。
ソーニャの長い台詞の締めくくり。くり返される「息がつける」に、報われない日々を耐える人の祈りがこめられている。
かもめ
わが人生の喪服なの。あたし、不仕合せな女ですもの。
チェーホフ『かもめ』の幕開き、なぜいつも黒い服を着るのかと問われたマーシャの答え。報われない恋に沈む人々の喜劇は、この一言から始まる。
わたしは――かもめ。……いいえ、そうじゃない。わたしは――女優。そ、そうよ!
第四幕、二年ぶりにトレープレフを訪ねたニーナの言葉。自分を射落とされた鴎に重ねては打ち消す、揺れる心がそのまま台詞になっている。
わたしたちの仕事で大事なものは、名声とか光栄とか、わたしが空想していたものではなくって、じつは忍耐力だということが、わたしにはわかったの、得心が行ったの。おのれの十字架を負うすべを知り、ただ信ぜよ――だわ。
同じ場面でニーナが語る、苦しい日々の末につかんだ覚悟。名声を夢見た娘が「忍耐」にたどり着く、本作でもっとも知られた一節。
六号室
この尖端を上に向けている釘と、塀、さてはまたこの別室、こは露西亜において、ただ病院と、監獄とにのみ見る、儚き、哀な、寂しい建物。
チェーホフ『六号室』の冒頭、精神病棟を描く一文。明治の女性翻訳家・瀬沼夏葉の、漢語の多い文語まじりの訳文が味わえる。
私の知っているのは、神が人を熱血と、神経とより造ったと云うことだけです! また有機的組織は、もしそれが生活力をもっているとすれば、総ての刺戟に反応を起すべきものである。それで私は反応しています。
患者グロモフが、苦痛を軽んじる哲学を説く院長に食ってかかる言葉。痛みに声をあげることこそ生きることだという、本作の核となる議論。
可愛い女
彼女はしょっちゅう誰かしら好きで堪らない人があって、それがないではいられない女だった。
主人公オーレンカの人となりを語る一文。愛する人の考えをそのまま自分のものにして生きる「可愛い女」の本質が、ここに言い尽くされている。
ところでこの何一つ意見がないというのは、なんという怖ろしいことだろう!
ひとりになったオーレンカを描く一節。他人の意見で生きてきた女の心の空虚を、語り手が嘆きをこめて言い当てる。
犬を連れた奥さん
海岸通りに新しい顔が現われたという噂であった――犬を連れた奥さんが。
チェーホフ『犬を連れた奥さん』の書き出し。保養地ヤールタの退屈な噂話から、平凡な男の生涯を変える恋がさりげなく始まる。
はるか下のそのざわめきは、まだここにヤールタもオレアンダも無かった昔にも鳴り、今も鳴り、そしてわれわれの亡い後にも、やはり同じく無関心な鈍いざわめきを続けるのであろう。
オレアンダの丘で、グーロフとアンナが黙って海を見おろす場面。人の生死に無関心な海の響きに、永遠の安らぎを見る名高い叙景。
そして二人とも、旅の終りまではまだまだはるかに遠いこと、いちばん複雑な困難な途がまだやっと始まったばかりなことを、はっきりと覚るのだった。
作品の結びの一文。答えを示さずに終わる、チェーホフの「開かれた結末」の代表例としてよく引かれる。