可愛い女(チェーホフ)のあらすじ・登場人物
誰かを愛さずにいられない女
- 心理
- 翻訳
- 文字数
- 15,516字
- 読了目安
- 約31分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
この作品について
チェーホフが1899年に発表した短編を、チェーホフの戯曲や小説の名訳で知られる神西清が訳したもの。1940年(昭和15年)の岩波文庫『可愛い女・犬を連れた奥さん』に収められた。ロシアの地方都市の町はずれに住む退職官吏の娘オーレンカは、気だてがやさしく、会う人ごとに「可愛い女」と呼ばれる。いつも誰かを好きにならずにはいられない彼女の暮らしを、ユーモアと哀感の入りまじった筆致で追っていく。トルストイがこの作品を愛読し、主人公を擁護する後記を書いたことでも知られる。
あらすじ
退職八等官の娘オーレンカは、気だてがやさしく、いつも誰かを好きにならずにはいられない女だった。遊園「ティヴォリ」を営むクーキンの嘆きに心を動かされて彼と結婚し、芝居こそ世の中で一番大切なものだと、夫の言葉をそのまま口にするようになる。だがクーキンは興行先のモスクワで急死する。三月ほどして材木置場の管理人プストヴァーロフと結ばれると、今度は材木の値段や運賃の話ばかりするようになり、六年を仲むつまじく過ごすが、夫は風邪がもとで亡くなる。次には離れを借りている獣医スミールニンと親しくなり、家畜の検疫を熱心に語るが、獣医は連隊とともに遠くへ去ってしまう。独りになった彼女は、何事にも自分の意見を持てない空虚に苦しみながら年老いていく。数年後、軍を辞めた獣医が妻子を連れて町へ戻ってくる。オーレンカは家を貸し、やがて十歳の息子サーシャを引き取って母親のように世話を焼き、中学の勉強の話を自分の意見として語るようになる。ある夜、木戸を叩く音に、サーシャを母親のもとへ連れ去られるのではと怯えるが、それはクラブから帰った獣医だった。
登場人物
- オーレンカ(オリガ・セミョーノヴナ) 退職八等官の娘。誰かを好きにならずにはいられない
- クーキン 遊園「ティヴォリ」の経営者。いつも不入りを嘆いている
- プストヴァーロフ 材木置場の管理人
- スミールニン 連隊付きの獣医。屋敷の離れを借りている
- サーシャ 獣医の息子
冒頭部(原文より)
オーレンカという、退職八等官プレミャンニコフの娘が、わが家の中庭へ下りる小さな段々に腰かけて、何やら考え込んでいた。暑い日で、うるさく蠅がまつわりついて来るので、でももうじき夕方だと思うといかにもうれしかった。東の方からは黒い雨雲がひろがって来て、時おりその方角から湿っぽい風が吹いていた。 中庭のまんなかにはクーキンという、遊園『ティヴォリ』の経営主と持主とを一身に兼ねて、やはりその屋敷うちの離れを借りて住んでいる男がたたずんで、空を眺めていた。 「またか!」と彼は捨てばちな調子で言うのだった。「また雨と来らあ! 毎日毎日雨にならないじゃ済まないんだ――まるでわざとみたいにさ! これじゃ首をくくれというも同然だ! 身代限りをしろというも同然だ! 毎日えらい欠損つづきさ!」
「可愛い女」チェーホフ(青空文庫)
末尾部(原文より)
と不意に、はげしく木戸を叩く音。オーレンカははっと眼ざめて、恐ろしさに息もつけない。心臓の鼓動はわれるようだ。半分間ほどすると、またもや叩く音。 『ハリコフから電報が来たんだわ』と彼女は、からだじゅうがくがく顫えだしながら考える。『あれの母親が、サーシャをハリコフへ呼び寄せようって言うんだわ。……ああどうしよう!』 彼女は身も世もあらぬ気持になる。頭も、足も、手も冷たくなって、自分ほど不仕合せな人間は世界じゅうに一人もないような気がする。それから更に一分ほどすると、話し声が聞こえてくる。あれは獣医がクラブから帰って来たのだった。 『まあ、よかったわ』と彼女は思う。 心臓のおもしがだんだんひいて行って、ふたたびほっと楽な気持になる。彼女はまた横になって、サーシャのことを考えつづける。当のサーシャは隣の部屋でぐっすり寝入っていて、時々こんな寝言をいっている。―― 「よおし覚えてろ! あっちい行けったら! 乱暴するない!」
「可愛い女」チェーホフ(青空文庫)
名文
彼女はしょっちゅう誰かしら好きで堪らない人があって、それがないではいられない女だった。
主人公オーレンカの人となりを語る一文。愛する人の考えをそのまま自分のものにして生きる「可愛い女」の本質が、ここに言い尽くされている。
ところでこの何一つ意見がないというのは、なんという怖ろしいことだろう!
ひとりになったオーレンカを描く一節。他人の意見で生きてきた女の心の空虚を、語り手が嘆きをこめて言い当てる。
原文を読む
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