初雪(モーパッサン)のあらすじ・登場人物
凍える屋敷と南の海
- 心理
- 家族
- 翻訳
- 文字数
- 10,289字
- 読了目安
- 約21分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
この作品について
モーパッサンが1883年12月に新聞『ル・ゴーロワ』に発表した短編「Première Neige」を、秋田滋が訳したもの(改造文庫『モオパツサン短篇集 初雪 他九篇』所収)。南仏カンヌの海辺のベンチに腰かけた胸を病む若い妻が、ノルマンディーの古い屋敷で過ごした結婚生活を思い返す。陽気なパリ育ちの彼女と、土地を愛し狩猟に明け暮れる素朴な夫とのすれ違いを、雨と鴉の群れに閉ざされた冬の屋敷と、明るい地中海の風景との対比のなかに描く。作者はこの筋の一部を、長編『女の一生』の一章にも生かしている。
あらすじ
南フランスのカンヌ、海沿いの散歩道のベンチに、胸を病んだ若い女が腰を下ろし、明るい海と空を眺めて「なんて仕合わせなんだろう」とつぶやく。彼女は自分が遠からず死ぬことを知っていた。そして四年前からのことを思い返す。陽気なパリ娘だった彼女は、財産目当ての縁談で、ノルマンディーの貴族アンリ・ド・パルヴィールと結婚した。夫は頑健で陽気だが、狩猟と農場の仕事に明け暮れ、生まれ育った古い屋敷での単調な暮らしにすっかり満足している男だった。湿った石造りの屋敷は冬になると骨まで冷え、彼女はたまらず煖房を据えつけてほしいと頼むが、夫は笑い飛ばすばかり。翌年、両親を事故で失った彼女は、医者から子どもはできないと告げられ、望みのない先行きと冬の寒さにいっそう苦しむ。パリで少し過ごしたいという願いも退けられ、夫に「ここへ来てから一度も風邪をひいたことがないじゃないか」と言われた夜、彼女は、咳をして病気になれば夫も煖房を入れるだろうと思いつく。そして裸同然の姿で雪の庭に素足で踏み出し、雪の上に座りこんで胸に雪をすりつけた。彼女は肺炎になり、医者の言葉でようやく煖房が据えつけられることになったが、病は肺を深く冒し、彼女はカンヌへ転地した。春に一度は北へ帰ったものの、今の彼女はノルマンディーの長い冬が恐ろしく、病の癒えることさえ怖れて、迫る死をかえって喜んでいる。新聞に「巴里に初雪降る」の見出しを見つけてにっこりした彼女は、家に帰って夫の手紙を読み、あの煖房にまだ火を入れていないという一節に、願いがかなえられていたことを知ってしみじみと嬉しくなる。そして手紙を膝に下ろし、こみ上げる咳を手で押さえるのだった。
登場人物
- 彼女 胸を病み、カンヌで療養する若い妻。陽気なパリ育ち
- アンリ・ド・パルヴィール 彼女の夫。狩猟と土地を愛する、頑健で陽気なノルマンディーの貴族
冒頭部(原文より)
長いクロワゼットの散歩路が、あおあおとした海に沿うて、ゆるやかな弧を描いている。遥か右のほうに当って、エストゥレルの山塊がながく海のなかに突き出て眼界を遮り、一望千里の眺めはないが、奇々妙々を極めた嶺岑をいくつとなく擁するその山姿は、いかにも南国へ来たことを思わせる、うつくしい眺めであった。 頭を囘らして右のほうを望むと、サント・マルグリット島とサント・オノラ島が、波のうえにぽっかり浮び、樅の木に蔽われたその島の背を二つ見せている。 この広い入江のほとりや、カンヌの町を三方から囲んで屹立している高い山々に沿うて、数知れず建っている白堊の別荘は、折からの陽ざしをさんさんと浴びて、うつらうつら眠っているように見えた。そして遥か彼方には、明るい家々が深緑の山肌を、その頂から麓のあたりまで、はだれ雪のように、斑に点綴しているのが望まれた。
「初雪」モーパッサン(青空文庫)
末尾部(原文より)
やがて彼女はベンチから起ちあがると、ゆっくりゆっくり自分の家のほうへ帰って行った。時折り咳が出た。彼女はそのたびに立ち停った。余り晩くまで戸外にいたので、ほんの少しではあったが、彼女は悪感がした。 家へ帰ると、良人から手紙が来ていた。彼女は相かわらず微かな笑みをうかべながら、その封を切って、それを読みだした。 日ましに快いほうへ向ってくれればと、そればかりを念じている次第だ。お前も早くここへ帰って来たく思っていることだろうが、余り当地を恋しがらないで、くれぐれも養生をしてくれ。二三日前から当地はめッきり寒くなって、厚い氷が張るようになった。雪の降るのももう間近いことだろう。お前とちがってこの季節が好きな自分は、おおかたお前もそう思っていることだろうが、お前をあんなに苦しめた例の煖房には、まだ火を入れないようにしている――」 ここまで読んで来ると、彼女は自分があんなにまで欲しがっていた煖房を、とうとう据えつけてもらうことが出来たことを知って、しみじみと嬉しい気がして、そのまま先を読むのを止めてしまった。そして、手紙を持っている右の手は、静かに静かに膝の上へ垂れて行った。一方、彼女はその左の手を、胸をひき裂くかと思われる、頑強な咳を鎮めようとして、口脣のところへ持ってゆくのだった。
「初雪」モーパッサン(青空文庫)
名文
ここまで読んで来ると、彼女は自分があんなにまで欲しがっていた煖房を、とうとう据えつけてもらうことが出来たことを知って、しみじみと嬉しい気がして、そのまま先を読むのを止めてしまった。
『初雪』の結び近く、カンヌで療養する若い妻が夫の手紙を読む場面。ささやかな喜びと、咳に苦しむ姿との対比が哀切な余韻を残す。
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。