母子叙情(岡本かの子)のあらすじ・登場人物
巴里に遺した息子への思慕
- 心理
- 家族
- 文字数
- 77,357字
- 読了目安
- 約2時間35分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
この作品について
岡本かの子が1937年(昭和12年)、「文学界」に発表した中編小説。夫(画家・逸作)とともに芸術修業のため巴里に渡り、帰国の際に、画家を志す一人息子・一郎(岡本太郎がモデル)を独り巴里に残してきた母・かの女。その息子への尽きせぬ思慕を軸に、かつて心を寄せた青年・春日規矩男への、母性へと昇華された愛惜がからみ合う。あふれる母性愛と、それに包み込まれてゆく恋情とを、絢爛で濃密な文体でうたいあげた、かの子の代表作のひとつである。
あらすじ
小説家であり大乗哲学に親しむ「かの女」は、画家の夫・逸作とともに芸術の都・巴里で数年を過ごした。だが帰国にあたり、新興芸術に深く食い入り、その土地に根を下ろした一人息子・一郎を、断腸の思いで独り巴里に残してくる。「うつし世の人の母なるわれにして手に触る子の無きが悲しき」――日本へ戻ったかの女は、手の届かぬ息子への思慕に胸を焦がしながら、巴里で息子と過ごした濃密な日々を繰り返し思い返す。バスで見かける学生たち、喫茶店で出会う社会事業家の病身の息子――目に映るすべてが、母と子の情へと重なっていく。そのかの女の厳格清澄な母性の核のほとりには、かつて心を通わせた青年・春日規矩男の俤が、いまも匂うように滲むように宿っている。ある日、規矩男は、かの女の息子・一郎が個展に出した絵を「奇蹟のように幸福な息子の描いた絵」として買い求め、久しく絶えていた手紙を寄こす。仙台で物理学の研究者となり、なお独身だという規矩男。かの女はもはや返事を書こうとはしないが、成長した息子を送り出し、苦労も別離もしつくした彼女の大きな母性は、その青年の俤をも和やかに迎え入れる。母性愛のうちに恋情までも包み込むかの子文学の精髄が、濃密な抒情の文体に結晶した代表作である。
登場人物
- かの女 小説家。大乗哲学に親しむ。巴里に残した一人息子への思慕と、青年への愛惜を母性のうちに抱く
- 一郎 かの女の一人息子。画家を志し、独り巴里に残って芸術修業を続ける(岡本太郎がモデル)
- 逸作 かの女の夫。画家。妻の憂鬱を気遣い、たびたび外へ連れ出す
- 春日規矩男 かの女がかつて心を寄せた青年。のち物理学の研究者となる。一郎の絵を買い求める
冒頭部(原文より)
かの女は、一足さきに玄関まえの庭に出て、主人逸作の出て来るのを待ち受けていた。 夕食ごろから静まりかけていた春のならいの激しい風は、もうぴったり納まって、ところどころ屑や葉を吹き溜めた箇所だけに、狼藉の痕を残している。十坪程の表庭の草木は、硝子箱の中の標本のように、くっきり茎目立って、一きわ明るい日暮れ前の光線に、形を截り出されている。 「まるで真空のような夕方だ」
「母子叙情」岡本かの子(青空文庫)
末尾部(原文より)
今改めてかの女はかの女の中核へ規矩男の俤を連れ出してみようか――今やかの女のむす子を十分な成育へ送り届け、苦労も諸別もしつくしたかの女の母性は、むしろ和やかに手を差し延べてそれを迎え、かの女の夫の逸作の如く、 「君も若いうちに苦労したのだ。見遺した夢の名残りを逐うのもよかろう」 斯うもかの女にもの分りよく云うであろうか。 君が行手に雲かかるあらばその雲に 雪積まば雪に問へかしわれを。 君行きて心も冥く白妙に 降るてふ夜の雪黝み見ゆ。
「母子叙情」岡本かの子(青空文庫)
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。