文芸戦線とは

分類
結社・団体
読み
ぶんげいせんせん

大正13年(1924年)6月、関東大震災の混乱で廃刊した「種蒔く人」の同人たちが再結集して創刊したプロレタリア文学雑誌。小牧近江・青野季吉らが中心となり、創刊後まもなくプロレタリア文学運動の中心誌となった。青野季吉は誌上の評論「自然生長と目的意識」(大正15年)で、労働者の生活を描くだけでなく階級闘争の目的を意識した文学を説き、運動の理論を方向づけた。葉山嘉樹はこの誌上に『淫売婦』(大正14年)『セメント樽の中の手紙』(大正15年)を発表して、初期プロレタリア文学を代表する作家となり、黒島伝治も小豆島の農民を描いた『豚群』(大正15年)や、シベリア出兵を題材にした『橇』(昭和2年)を寄せている。平林たい子『施療室にて』(昭和2年)、里村欣三らの作品もここに載った。運動の組織が分裂を重ねると、昭和2年(1927年)以降は社会民主主義の立場に立つ労農芸術家連盟の機関誌となり、共産主義系のナップの機関誌「戦旗」と鋭く対立して、プロレタリア文学運動の二大潮流の一方を担った。この立場の作家たちは「文戦派」とも呼ばれる。弾圧と運動の退潮のなか、昭和7年(1932年)7月に終刊した。

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