比叡山(若山牧水)のあらすじ・登場人物
五月の比叡の山上で
- 文字数
- 5,888字
- 読了目安
- 約12分
- 表記
- 旧字旧仮名
- 種別
- 随筆
- 舞台
- 滋賀県
この作品について
若山牧水が五月の比叡山に登り、山上の宿院に泊まった日の紀行。桜が咲く山の深さと、誰もいない大きな宿の寂しさ、霧と雨の夜が描かれる。
あらすじ
山上の宿院に着いたとき、もう黄昏近かった。御堂へ参詣してからと思ったが、疲れ果てて、「天台宗講中宿泊所」の大きな札のかかった冠木門を見ると脚が動かなかった。門を入ると、目の前に白い花がこんもりと咲き垂れていた。五月十八日というのに桜の花である。山の深さを感じる。玄関まで行っても、大きな建物にはほとんど人の気配がなく、二、三度訪うても返事がない。途方に暮れていると、静かで寂しい鳥の声が聞こえる。やがて部屋に通されると、畳はじめじめして、囲炉裏には火が山のように熾っている。縁側に出ると、霧がこめて大粒の雨が降り出していた。
冒頭部(原文より)
山上の宿院に着いた時はもう黄昏近かつた。御堂の方へ參詣してからとも思うたが、何しろ私は疲れてゐた。「天台宗講中宿泊所」「一般參詣者宿泊所」といふ風の大きな木の札の懸つてゐるその冠木門を見ると、もう脚が動かなかつた。 門を入るとツイ眼の前に白い花がこんもりと咲き枝垂れてゐた。見るともなく見れば、思ひもかけぬ幾本かの櫻の花である。五月の十八日だといふに、と思ふと、急に山の深いところに來てゐるのを感じた。飛石を傳つて、苔の青い庭を玄關まで行つたが、大きな建物には殆んど人の氣も無く、二三度訪うても返事は聞かれなかつた。途方に暮れてぼんやりと佇んでゐると、何やら鳥の啼くのが聞える。靜かな、寂しいその聲は曾つて何處かで聞いたことのある鳥である。しばらく耳を澄ましてゐるうちに筒鳥といふ鳥であることを思ひ出した。思ひがけぬ友だちにでも出會つた樣に、急に私の胸はときめいて來た。そして四邊を見すと何處もみな鬱蒼たる杉の林で、その夕闇のなかからこの筒拔けた樣な寂しい聲は次から次と相次いで聞えて來てゐるのである。
「比叡山」若山牧水(青空文庫)
末尾部(原文より)
なるほど四方を深い木立に距てられた一軒だちの寺であつた。外見は如何にも壯大な堂宇だが、中に入つて見るとその荒れてゐるのが著しく眼に付く。この部屋を兎に角掃除しておいたから、と言はれて或る部屋に入つて行くと疊はじめ/\と足に觸れて、眞中の圍爐裡には火が山の樣に熾つて居た。ぼんやりと坐つてゐると、何やらはら/\と烈しく聞えて來た。縁側に出てみると、いつの間にかまた眞白に霧が罩めて大粒の雨が降り出してゐた。
「比叡山」若山牧水(青空文庫)
原文を読む
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