『蒲団』を書いた頃(田山花袋)のあらすじ・登場人物
花袋が振り返る蒲団の時代
- 文字数
- 2,613字
- 読了目安
- 約5分
- 表記
- 新字旧仮名
- 種別
- 随筆
この作品について
「サンデー毎日」1924(大正13)年4月6日号に載った田山花袋の回想。発表から十数年を経た『蒲団』について、なぜあのような作が歓迎されたのかという問いを入口に、国木田独歩・島崎藤村と出自の違う三人が「新しさ」と「真面目さ」で寄り合っていった当時の文壇の空気を振り返る。硯友社の崩壊や通俗小説の流行、イプセン、ニーチェ、トルストイへの共鳴、執筆の手本としたハウプトマン『寂しき人々』、ツルゲーネフの流行などを挙げ、モデル問題で受けた冷たい視線にも触れる。三つの短い章からなり、作品そのものより若い頃の純な心持を懐かしむ、晩年の作者の距離の取り方が読みどころになっている。
あらすじ
『蒲団』がなぜあれほど歓迎され、今も売れているのかという問いから筆を起こす。作者は国木田独歩の渋谷の家や、『破戒』の原稿を抱えて小諸から出てきた島崎藤村の大久保の狭い部屋を思い出し、国民新聞・文学界・硯友社と出自の違う三人が、新しさと真面目さ、大陸の文学への憧れ、党閥への反発によって一つの流れになったと振り返る。当時は硯友社が崩れ、大家は筆を絶ち、鴎外は小倉で「末流文壇」と罵り、通俗小説が歓迎されていた。義理人情や社会の慣習に縛られて表と裏を使い分ける生き方への反発から、イプセンやニーチェ、ハウプトマンらが共鳴し、『蒲団』はその意味で世間を動かしたのだろうと述べる。執筆の手本はハウプトマンの『寂しき人々』で、自分の生活に「アンナ・マアル」が入って来なければ書けなかったと明かし、ツルゲーネフの流行も思い出す。最後に、今ではありふれたモデル問題が当時は大騒ぎとなり、同僚に白い目で見られ、絶交状に近い手紙まで受けたことを語り、伝統的慣習に縛られた社会が自由な社会へ移るための材料の一つとして『蒲団』も使命を果たしたと結ぶ。
登場人物
- 田山花袋 筆者。『蒲団』を書いた頃の文壇と自分を振り返る
- 国木田独歩 「国民新聞」派から出た友人。一番先に『運命』を書いた
- 島崎藤村 「文学界」派から出た友人。小諸から『破戒』の未成稿を抱いて上京した
冒頭部(原文より)
『何うして、あんな「蒲団」のやうな作が歓迎されたでせうな?』かうある人が言つたが、作者自身でも、何うしてあんな作が今でも売れてゐるかと思はれるほどである。少くともあの作は四五万は売れた。
「『蒲団』を書いた頃」田山花袋(青空文庫)
末尾部(原文より)
今日に於いては、『蒲団』にあらはれた程度のモデル問題などは何でもなく、あれ以上のものが沢山に沢山にあらはれて来てゐるけれども、しかも世間ではそれを余り問題にしないのに引かへて、『蒲団』時代に於いては、何んなにそれが問題になつたことだらう? 私は机を並べて仕事をしてゐた人達からもじろじろといやに顔を見られたばかりでなく、ある人からはそれがために絶交状に近い手紙をさへつきつけられた。つまりそれだけその時分の世間が、社会が、伝統的慣習に捉はれてゐたのである。さういふ形から見れば、さうした社会から今の自由な心持を持つた社会になつて来るための材料のひとつとして『蒲団』も立派にその使命を果して来たものであるとは言へた。
「『蒲団』を書いた頃」田山花袋(青空文庫)
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