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崖の下(嘉村礒多)のあらすじ・登場人物

崖の下に住む駆け落ちの二人

  • 恋愛
  • 心理

嘉村礒多 1928年(昭和3年)7月 「不同調」

文字数
18,081字
読了目安
約36分
表記
旧字旧仮名
種別
小説
舞台
  • 東京都

この作品について

嘉村礒多が1928年(昭和3年)、雑誌「不同調」に発表した短編小説。郷里に妻子を残して千登世と駆け落ちした圭一郎を描いた「業苦」の続編にあたり、作者自身の生活をもとにした私小説である。東京の本郷で間借り暮らしを続ける二人が、思わぬ出来事から部屋を追われ、高い崖の下のあばら家へ移るまでを描く。自分を責め苛む圭一郎の心の動きが、漢語を多くまじえた粘りのある文章でつづられる。

あらすじ

二月の中旬、圭一郎と千登世は、ささいな突発的な出来事から、一年半暮らした本郷森川町の煎餅屋の二階を出なければならなくなる。圭一郎は西の果てのY県の田舎に妻と幼い子を残して、千登世と駆け落ちしてきたのだった。酒新聞社でこき使われていた圭一郎は、知人の紹介でようやく文芸雑誌社に職を得たが、世事にうとく融通のきかない性分から同僚に侮られ、名のある文士を訪ねては談話を乞うて断られる日々を送っている。千登世は裁縫の内職で暮らしを支えていたが、下宿のおかみさんの秘密を知ってしまったことから、居づらくなったのである。二人はようやく見つけた家に移るが、それは背後に今にも崩れてきそうな高い崖を控えた、日の差さないあばら家だった。圭一郎は郷里の子や老いた父を思い、自分の罪を責めながらも千登世との暮らしを手放せない。崖下の薄暗い部屋で、彼は壁に掛けたバーン=ジョーンズの版画に慰めを求めるが、前途に待つものは断念の思いばかりだと感じている。

登場人物

冒頭部(原文より)

 二月の中旬、圭一郎と千登世とは、それは思ひもそめぬ些細な突發的な出來事から、間借してゐる森川町新坂上の煎餅屋の二階を、どうしても見棄てねばならぬ羽目に陷つた。が、裏の物干臺の上に枝を張つてゐる隣家の庭の木蓮の堅い蕾は稍色づきかけても、彼等の落着く家とては容易に見つかりさうもなかつた。

「崖の下」嘉村礒多(青空文庫)

末尾部(原文より)

 鼠色のきたない雨漏りの條のいくつもついてゐる部屋の壁には、去年の大晦日の晩に一高前の古本屋で買ひ求めた、ラファエル前派の代表作者バアーンジョンの「音樂」が深い埃を被て緑色の長紐で掛けてあつた。正面の石垣に遮られる太陽が一日に一回明り窓からぎら/\と射し込んだ。そして、額縁に嵌められた版畫の中の、薔薇色の美しい夕映えに染められた湖水や小山や城に臨んだ古風な室でヴァイオリンを靜かに奏でてゐる二人の尼僧を、黒衣の尼さんと、それから裾を引きずる緋の襠かけを纒うた尼さんの衣を滴る燦かな眞紅に燃え立たせた。圭一郎は溢れるやうな醉ひ心地でその版畫を恍惚と眺めて呼吸をはずませ倚り縋るやうにして獲がたい慰めを願ひ求めた。現世の醜惡を外に人生よりも尊い蠱惑の藝術に充足の愛をさゝげて一すぢに信を獲る優れた悦びに心を驅つて見ても、明日に、前途に、待望むべき何れ程の光明と安住とがあるだらう? とどのつまり、身に絡まる斷念の思ひは圭一郎の生涯を通じて吹き荒むことであらうとのみ想はれた。

「崖の下」嘉村礒多(青空文庫)

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