業苦(嘉村礒多)のあらすじ・登場人物
全體これから奈何すればいゝのか?
- 心理
- 家族
- 文字数
- 16,657字
- 読了目安
- 約33分
- 表記
- 旧字旧仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 東京都
この作品について
1928年(昭和3年)、雑誌「不同調」に発表された嘉村礒多の出世作。郷里に妻子を残し、千登世と駆け落ちして上京した圭一郎は、酒新聞社の見習いとして月給三十五円を得ながら、森川町の煎餅屋の屋根裏に間借りしている。妹からの手紙には、父の病と嘆き、置き去りにした幼い息子の姿が細々と綴られていた。恩師G師からは別れよと説かれ、千登世は縫物の内職で痩せ衰えてゆく。捨ててきた者への罪と、いま共に生きる者への罪。どちらからも逃れられない自己を、容赦なく凝視した破滅型私小説の代表作である。
あらすじ
風邪をこじらせて三十九度の熱を出した圭一郎は、勤め先の酒新聞社を三日休んだだけで呼び出しの速達を受け取る。馘首になってはと蒲団から這い出す彼に、千登世は取り返しがつかなくなるとすがりつく。二人が郷里のY県を出て駆け落ちしてから四か月が経っていた。社で受け取った故郷の妹からの手紙には、父が一週間前から床についていること、「俺が生きとるうちに何とか圭一郎の始末をつけて置いてやらにゃならん」とつぶやいたこと、配達夫の姿を丘の果樹園からじっと見下ろしていること、そして残された幼い敏雄が友達を帰したくなくて泣くことが、細かに書き連ねてあった。妻の咲子は一万円よこせと言い立て、親族会議は紛糾している。圭一郎が上京して真っ先に身を寄せたG師は、毎夜のように彼を呼んでは、この不自然な同棲は必ず破れる、一旦の妄念を棄てよと諄々と説いた。千登世は二階でひとり、路地に下駄の音を待ちながら慟哭したという。月給だけでは足りず、千登世は「和服御仕立いたします」の紙を貼って縫物を引き受け、徹夜を重ねて髪が抜けるほど痩せた。その寝顔を月明かりに見ながら、圭一郎は寝返りを打ち続ける。
登場人物
- 大江圭一郎 妻子を郷里に残し、千登世と駆け落ちして上京した男。酒新聞社の見習い記者
- 千登世 圭一郎と駆け落ちした二十三歳の女。縫物の内職で家計を支え、健康を損なってゆく
- 妹 郷里から父の病と家の窮状を書き送ってくる
- 父 圭一郎の家を継がせるはずだった養子の当主。病床で息子の帰りを待っている
- 敏雄 圭一郎の幼い息子。祖父に可愛がられている
- 咲子 圭一郎の妻。離縁をめぐって金を要求し、実家に帰っている
冒頭部(原文より)
只、假初の風邪だと思つてなほざりにしたのが不可かつた。たうとう三十九度餘りも熱を出し、圭一郎は、勤め先である濱町の酒新聞社を休まねばならなかつた。床に臥せつて熱に魘される間も、主人の機嫌を損じはしまいかと、それが譫言にまで出る程絶えず惧れられた。三日目の朝、呼び出しの速達が來た。
「業苦」嘉村礒多(青空文庫)
末尾部(原文より)
立てつけのひどく惡い雨戸の隙間を洩るゝ月の光を面に浴びて白い括枕の上に髮こそ亂して居れ睫毛一本も動かさない寢像のいゝ千登世の顏は、さながら病む人のやうに蒼白かつた。故郷に棄てて來た妻や子に對するよりも、より深重な罪惡感を千登世に感じないわけには行かない。さう思ふと何處からともなく込み上げて來る強い憐愍がひとしきり續く。かと思ふとポカンと放心した氣持にもさせられた。 全體これから奈何すればいゝのか? 又奈何なることだらうか? 圭一郎は幾度も/\寢返りを打つた。――
「業苦」嘉村礒多(青空文庫)
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