蓼喰う虫(谷崎潤一郎)のあらすじ・登場人物
西洋趣味から日本の伝統美へ
- 心理
- 家族
- 文字数
- 110,099字
- 読了目安
- 約3時間40分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 大阪府
- 京都府
- 兵庫県
この作品について
谷崎潤一郎が1928年(昭和3年)12月から翌年6月まで「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」に連載した長編小説。愛情の冷めた妻・美佐子との離婚に踏み切れず、あいまいな夫婦生活を続ける斯波要が、京都に住む岳父の古風な趣味の世界に触れるうち、次第に日本の伝統美へと心を傾けていく。モダンな西洋趣味から古典的な日本趣味への転回を描き、谷崎の古典回帰を告げる転換点に位置づけられる代表作である。
あらすじ
斯波要と美佐子の夫婦は互いへの愛情をすでに失い、美佐子に阿曽という愛人があることを要も黙認したまま、離婚の決断だけがつかずに形ばかりの生活を続けている。一人息子の弘は、両親の間に漂う不穏な気配を敏感に察していた。ある日、要は京都に住む美佐子の父に誘われて文楽を見物し、老人が若い妾のお久を傍らに置いて営む古風な数寄の暮らしに、初めは反発を覚えながらも次第に心を惹かれていく。淡路の人形芝居への旅に同行した要は、人形のように慎ましいお久の姿に、滅びゆく日本の女の面影を見出すのだった。従兄の高夏からは早く離婚話をまとめるよう促され、美佐子との別れは少しずつ現実味を帯びていくが、要はなお決断を下せない。夕立の夜、老人の家に泊まった要の蚊帳の中へ、行燈の灯に照らされたお久のほの白い顔が人形のように浮かび上がるところで物語は幕を閉じる。
登場人物
- 斯波要 妻への愛情を失いながら離婚に踏み切れず、あいまいな日々を送る主人公
- 美佐子 要の妻。夫の黙認のもと、愛人の阿曽のもとへ通う
- 老人 美佐子の父。京都で若い妾を相手に古風な数寄の暮らしを営む
- お久 老人の若い妾。人形のように従順で古風な女性
- 弘 要と美佐子の一人息子。両親の不和を敏感に感じ取る少年
冒頭部(原文より)
美佐子は今朝からときどき夫に「どうなさる? やっぱりいらっしゃる?」ときいてみるのだが、夫は例の孰方つかずなあいまいな返辞をするばかりだし、彼女自身もそれならどうと云う心持もきまらないので、ついぐずぐずと昼過ぎになってしまった。一時ごろに彼女は先へ風呂に這入って、どっちになってもいいように身支度だけはしておいてから、まだ寝ころんで新聞を読んでいる夫のそばへ「さあ」と云うように据わってみたけれど、それでも夫は何とも云い出さないのである。
「蓼喰う虫」谷崎潤一郎(青空文庫)
末尾部(原文より)
涼しい風が吹き込むのと一緒にその時夕立がやって来た。早くも草葉の上をたたく大粒の雨の音が聞える。要は首を上げて奥深い庭の木の間を視つめた。いつしか逃げ込んで来た青蛙が一匹、頻にゆらぐ蚊帳の中途に飛びついたまま光った腹を行燈の灯に照らされている。 「いよいよ降って来ましたなあ」 襖が明いて、五六冊の和本を抱えた人の、人形ならぬほのじろい顔が萌黄の闇の彼方に据わった。
「蓼喰う虫」谷崎潤一郎(青空文庫)
名文
美佐子は今朝からときどき夫に「どうなさる? やっぱりいらっしゃる?」ときいてみるのだが、夫は例の孰方つかずなあいまいな返辞をするばかりだし、彼女自身もそれならどうと云う心持もきまらないので、ついぐずぐずと昼過ぎになってしまった。
『蓼喰う虫』の冒頭。冷えきった夫婦が、決断できないまま出かける用意だけを整える、ゆるやかな倦怠から物語が始まる。
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。