後漢書倭伝(范曄)のあらすじ・登場人物
倭奴国、光武帝に印綬を受く
- 歴史
- 文字数
- 795字
- 読了目安
- 約2分
- 表記
- 旧字旧仮名
- 種別
- 随筆
この作品について
南朝宋の范曄が編んだ中国の史書『後漢書』の東夷列伝のうち、倭について記した部分。扱う時代は『三国志』より前の後漢だが、編まれたのは五世紀で、倭の地理や風俗の記述の多くは『三国志』の魏書東夷伝(魏志倭人伝)を踏まえている。一方で、建武中元二年(57年)に倭奴国が朝貢して光武帝から印綬を賜ったこと、永初元年(107年)に倭国王帥升らが生口百六十人を献じたことなど、後漢の時代の通交を独自に伝える。江戸時代に志賀島で見つかった「漢委奴国王」の金印との関わりでも知られる。本文は句読点を施した漢文(白文)で、訓読や訳は付いていない。
あらすじ
倭は韓の東南の大海のなかにあり、山や島に依って住み、およそ百余国に分かれていると書き起こされる。武帝が朝鮮を滅ぼしてから漢に使者を通わせる国は三十ほどあり、国々はみな王を称して代々伝え、大倭王は邪馬臺国にいる。土地は稲や麻、蚕に適し、白珠や青玉、丹を産し、牛馬や虎はいない。男子は入れ墨をし、女は髪を結わずに貫頭衣を着ること、酒を好み長寿の者が多いこと、喪の習い、骨を焼く占い、海を渡るときに「持衰」という者を立てる習俗などが記される。建武中元二年、倭奴国が貢ぎ物を奉じて朝賀し、使者は大夫と称した。倭国の極南の国である。光武帝は印綬を授けた。安帝の永初元年には倭国王帥升らが生口百六十人を献じて謁見を願う。桓帝・霊帝のころ倭国は大いに乱れ、主のない年が続いたが、卑弥呼という女子が鬼神の道に仕えて人々を惑わし、共に立てられて王となった。最後に、女王国の東や南にある拘奴国、朱儒国、裸国・黒歯国のことと、秦の始皇帝が遣わした徐福が童男童女を連れて海に入り、夷洲・澶洲にとどまったという伝えを記して終わる。
登場人物
- 帥升 倭国王。永初元年に後漢へ生口を献じる
- 卑弥呼 倭の大乱ののちに共に立てられた女王
冒頭部(原文より)
倭在韓東南大海中、依山島爲居、凡百餘國。自武帝滅朝鮮、使驛通於漢者三十許國。國皆稱王、世世傳統。其大倭王居邪馬臺國。
「後漢書倭伝」范曄(青空文庫)
末尾部(原文より)
會稽海外有東人、分爲二十餘國。又有夷洲及洲、傳言、秦始皇遣方士徐福、將童男女數千人入海、求蓬莱神仙不得、徐福畏誅不敢還、遂止此洲、世世相承、有數萬家、人民時至會稽市。會稽東冶縣人、有人海行遭風流移至洲者、所在絶遠不可往來。
「後漢書倭伝」范曄(青空文庫)
名文
建武中元二年、倭奴國奉貢朝賀、使人自稱大夫、倭國之極南界也。光武賜以印綬。
范曄『後漢書』東夷伝の倭の条より。西暦57年、倭の奴国の使いが朝貢し、光武帝が印綬を与えたという記事である。江戸時代に志賀島で見つかった「漢委奴国王」の金印は、この印にあたると考えられている。
原文を読む
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