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月の詩情(萩原朔太郎)のあらすじ・登場人物

電灯が奪った月の詩情

萩原朔太郎 

文字数
3,406字
読了目安
約7分
表記
新字旧仮名
種別
随筆

この作品について

萩原朔太郎が、古来なぜ多くの詩人が月を歌ってきたのかを問う短い随筆。月の青白い光と、手の届かない遠さのためだと説き、生物が灯火に集まる向火性という本能にも触れる。さらに、電灯が夜を埋めた近代の都市では月が顧みられなくなったと続く。詩論家としての朔太郎の発想が、軽い筆致で読める一編。

あらすじ

冒頭で、李白や白楽天、西行や芭蕉、西洋のムーンライトの詩まで、昔の詩人たちが月を歌ってきたことを挙げ、それらの詩に共通する悲しい音楽のような無限のノスタルジアを指摘する。理由として、月光の青白さがメランコリックな情緒を呼ぶことに加え、広茫たる天の遠方にあることがあげられる。遠くにあるものは憧憬と郷愁を呼び、それ自体が抒情詩のセンチメントになるからである。そこから話は、獣や鳥、昆虫、海の魚までが夜の灯火に惹かれる向火性へ進む。末尾では、近代の都会も田舎も電光化され、銀座を歩く人は空に月があることさえ忘れているため、近代の詩人は月を歌わなくなったと述べ、「科学は妖怪変化と共に、月の詩情を奪つてしまつた」と結ぶ。

冒頭部(原文より)

 昔は多くの詩人たちが、月を題材にして詩を作つた。支那では李白や白楽天やが、特に月の詩人として有名だが、日本では西行や芭蕉を初め、もつと多くの詩人等が月を歌つた。西洋でも、Moonlight の月光を歌つた詩は、東洋に劣らないほど沢山ある。かうした多くの月の詩篇は、すべて皆その情操に、悲しい音楽を聴く時のやうな、無限のノスタルヂアが本質して居り、多くは失恋や孤独の悲哀を、その抒情の背景に揺曳させてゐる。

「月の詩情」萩原朔太郎(青空文庫)

末尾部(原文より)

 といふ蕪村の句で、月が非常に大きな満月の如く印象されるのは、周囲が貧しい裏町であり、深夜の雨戸を閉めた家から、微かな灯が僅かにもれるばかりの、暗く侘しい裏通と対比するからである。この句がもし「月天心都大路を通りけり」だつたら、月が非常に小さな物になり、句の印象から消滅してしまふ。実際に銀座通りを歩いてゐる人々は、空に月があることさへも忘れて居るのだ。ところが近代では、都会も田舎もおしなべて電光化し、事実上の都大路になつてゐるのだから、彼等の詩人に月が閑却されるのは当然である。科学は妖怪変化と共に、月の詩情を奪つてしまつた。  ペルシアの拝火教で、人間の霊魂が火から生まれたことを説いてゐるのは、生物の向火性と対照して、興味の深い哲理を持つてゐる。

「月の詩情」萩原朔太郎(青空文庫)

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