俳句と云ふもの(森鴎外)のあらすじ・登場人物
少年期に出会った俳句の記憶
- 文字数
- 1,215字
- 読了目安
- 約2分
- 表記
- 新字旧仮名
- 種別
- 随筆
この作品について
1912年(明治45年)1月号の「俳味」に載った短い随筆。鴎外が十五、六歳のころ、津和野の家を引き払った一家が東京の向島に集まった頃に、初めて俳句に出会った記憶をつづる。蔵書には橘守部の『心の種』、『古今集』、『唐詩選』、蕉門の句を集めた類題の零本などがあり、去来の句に惹かれたこと、祖父の歌や、母から聞いた祖父と宗匠との衝突の話にもふれる。末尾の「跡は又折があつたら書くとしよう」で、続きを予告して終わる。
あらすじ
筆者は、俳句というものを初めて見たのは十五、六歳の時だったと思うと回想する。父と東京へ出て向島に住んでいたところへ、母や弟妹が津和野の家を引き払って合流した。その時、蔵書だけは売らずに持ってきており、歌の本には『心の種』と『古今集』、詩の本には『唐詩選』があり、俳諧の本は蕉門の句を集めた類題の零本で、秋冬の部だけがあった。その本を好奇心から読み出し、分かると思う句と分からぬ句があった。去来の「秋風や白木の弓に弦張らん」がひどく気に入ったが、自分で作るとそういう句はできなかった。父は医書のほかは読まない人で、蔵書は祖父の遺物だった。祖父は歌を好み、俳諧は母が小娘のころに話してくれたという。祖父は宗匠の直しに不服で、すぐに止めたという話を記す。
冒頭部(原文より)
○俳句と云ものを始て見たのは十五六歳の時であつたと思ふ。父と東京へ出て来て向嶋に住んでゐる所へ、母や弟妹が津和野の家を引き払つて這入り込んで来た。その時蔵書丈は売らずに持つて来たが、歌の本では、橘守部の「心の種」、流布本の「古今集」、詩の本では「唐詩選」があつた。俳諧の本は、誰やらが蕉門の句を集めた類題の零本で、秋冬の部丈があつた。表紙も何もなくなつてゐて、初の一枚には立秋の句があつたのを記憶してゐる。さう云ふ本を好奇心から読み出した。丁度進文学社と云ふ学校で独逸語を学んでゐた片手間であつた。其頃向嶋で交際してゐた友達は、伊藤孫一といふ漢学好きの少年一人であつたので、詩が一番好きであつた。
「俳句と云ふもの」森鴎外(青空文庫)
末尾部(原文より)
宗匠との衝突はかうであつた。 茸狩や落した櫛を拾ふ手に と云ふ句を、宗匠が 茸狩や釵捜す手にもこれ と直した。祖父が、それでは松茸が頭に生えてゐるやうだと云つて、承知しなかつたと云ふことがある。祖父の句も余り旨くはなかつたやうである。但し記憶の誤があるかも知れない。(跡は又折があつたら書くとしよう。)
「俳句と云ふもの」森鴎外(青空文庫)
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