光をかかぐる人々(徳永直)のあらすじ・登場人物
日本の活字はどこから来たか
- 歴史
- 社会
- 文字数
- 151,449字
- 読了目安
- 約5時間3分
- 表記
- 旧字旧仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 長崎県
- 東京都
この作品について
元印刷工の作家「私」が、日本の活字は誰がどうやって創ったのかという素朴な疑問を追い、長崎の和蘭通詞・本木昌造に行き着く。恩人の植字工・三谷幸吉の遺志、江戸の木村嘉平、押し寄せる黒船と開国の波を重ねて、活字誕生の背景を調べ歩く。徳永直が日本の近代活字の創始を小説の形で描いた長編で、本編は前半にあたる。
あらすじ
昭和十五年、印刷工から小説家になった「私」は、上野で開かれた日本文化史展を見て、ふと思う。印刷機は外国から来たにしても、漢字をもつ日本の活字は、誰がどのように創ったのか。図書館に通って調べるうち、長崎の和蘭通詞・本木昌造にたどり着くが、残された記録はどれも二、三頁ほどで、人物像はつかめない。そこへ、かつて共同印刷で同じ植字工だった三谷幸吉が、昌造研究に打ち込んだ末に病の床にあると知らされる。三谷は「本木昌造、平野富二詳傳」の原稿を遺して世を去り、私はその志を継いで昌造の伝記を小説に書こうと決める。ところが活字の歴史は、昌造ひとりの物語では収まらなかった。江戸の彫刻師・木村嘉平が薩摩藩のために作った活字、アラスカやカムチャツカから日本へ押し寄せる異国船の波、ペリーとプーチャーチンの来航、そして活字がなぜ長崎に生まれたのか。私は昌造の家系と通詞という職業の性格から、嘉永元年に鉛活字を購入し、日本文字の「流し込み活字」づくりに取りかかった若き日、日露談判や神奈川・下田の条約の通訳に追われた日々をたどっていく。やがて昌造は長崎奉行所の活字板摺立係を命じられるが、長崎へ戻った後、蘭書購入などを疑われて長い謹慎の身となる。物語は日本の活字がまだ誕生に至らぬまま幕を閉じ、私は昌造の萬延元年以後と平野富二らの事績、電胎法の活字を後半に描くと誓う。
登場人物
- 私 作者自身。元植字工の小説家で、日本の活字の始まりを調べ歩く
- 三谷幸吉 私のかつての同僚の植字工。本木昌造の研究者で、病床から資料と志を託す
- H君 昌造の伝記を書こうとする若い植字工。私のもとを訪れる
- 本木昌造 長崎の和蘭通詞。鉛活字を購入して日本文字の活字づくりに挑む、本編の主人公
- 木村嘉平 江戸神田の彫刻師。薩摩藩の命で電胎法による活字づくりに取り組んだ
- 福地源一郎 通詞出身の文人。「本木傳」の主文を書いた
- 森山栄之助 昌造の同僚の通詞。日露・日米の交渉で活躍する
冒頭部(原文より)
活字の發明について私が關心をもつやうになつたのはいつごろからであつたらう? 私は幼時から大人になるまで、永らく文撰工や植字工としてはたらいてゐた。それをやめて小説など書くやうになつても、やはり活字とは關係ある生活をしてゐるのであるが、活字といふものが誰によつて發明されたのか、朝晩に活字のケツをつついてゐたときでさへ、殆んど考へたことがなかつた。
「光をかかぐる人々」徳永直(青空文庫)
末尾部(原文より)
したがつて私の主人公は一人昌造のみではない。まだ「江戸の活字」も行衞不明のままである。昌造の活字を大阪から東京にひろめ、印刷機械を日本で最初に製作した平野富二についても述べねばならぬ。日本最初の新聞人岸田吟香が書いたといふ「ヘボン辭書」の平假名が上海でどういふ風にして作られたかを探らねばならぬし、日本の製紙業がいかにして今日の基礎を築いたかも述べねばならぬであらう。福澤諭吉らによつて代表される明治初年の洋學者の行衞や、當時東洋の文化都市上海と長崎の交通的事情やも、日本の活字誕生にとつては缺くべからざるものであつて、讀者と共に私はこの後半を、昌造萬延元年以後の事蹟とともにみてゆきたいと考へるのである。
「光をかかぐる人々」徳永直(青空文庫)
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