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いやな感じ(高見順)のあらすじ・登場人物

場末の路地に交じる欲望と嫌悪

  • 社会
  • 歴史

高見順 1960年(昭和35年) 「文學界」

文字数
291,786字
読了目安
約9時間44分
表記
新字新仮名
種別
小説

この作品について

1960年(昭和35年)1月から1963年5月まで『文學界』に連載された高見順の長編小説。語り手の「俺」と砂馬慷一が、奪った金を持って場末の私娼街へ出かけるところから始まる。暗い踏切、つぎはぎの布で囲った屋台、小窓から客を呼ぶ女たち。汚れや臭い、肌の感触まで捉える描写が、二人の歩く町を生々しく立ち上げる。砂馬の強引な言動と、隣でそれを見ている「俺」の反応を分けて描き、男たちの仲間意識の中にも居心地の悪さを忍ばせる。金を払う客と、買われる側の女とのやり取りには、値踏みされる人間の尊厳をめぐる緊張もある。無政府主義やテロリズムを扱いながら、思想の説明だけで人物を割り切らず、欲望や嫌悪、虚勢を帯びた口調を積み重ねる。日常の粗野な会話や不快な身体感覚を入口として、社会の底辺に生きる者と暴力の関わりを問う作品である。

あらすじ

場末の魔窟で女を買うところから、アナキスト・砂馬慷一――「俺」の物語は幕を開ける。関東大震災前後の混沌とした時代を背景に、貧しい底辺から身を起こした俺は、金も女も暴力もリャク(掠奪)でせしめながら、その日暮らしのすさんだ日々を送っている。やがて俺は無政府主義の思想に触れ、権力への憎悪とテロリズムへの傾斜を深めてゆく。労働争議、右翼団体との腐れ縁、同志たちとの結束と裏切り――俺は左翼と右翼のあいだを漂流しながら、破壊と暴力そのものに取り憑かれていく。時代は満州事変から日中戦争へと突き進み、社会全体が戦争の狂気へと雪崩れ込んでゆくなかで、俺の内なる暴力衝動もまた出口を失って膨れあがる。折にふれて俺の口をつく「いやな感じ」という言葉は、単なる個人の生理ではなく、破局へ向かう時代そのものがまとう不吉さの表現でもある。半世紀近い日本の暗部を、一人のならず者の生涯に凝縮して描き切った本作は、破滅の予感に満ちた凄惨な幕切れへと突き進んでゆく。

冒頭部(原文より)

 暗い踏切の手前で円タクをとめた。旦那、お楽しみですねと若い運転手がにやにやしながら、釣り銭を出した。なに、言ってやがると砂馬慷一はその小ぜにをひったくるようにした。道路の向うを汽車の線路が横断している。旧式の機関車がその道路の真中に立ちはだかって、老いぼれの喘息病みみたいに、ゼーゼーと白い息を吐いている。市外の、ここは場末のどん尻だ。  歩道のはじに屋台が並んでいる。縫い目に一列にとっついたシラミみたいだ。屋台はつぎはぎだらけの布でかこってある。豚の腹綿を焼いている煙が、もくもくと布の間から立ちのぼっている。  砂馬と俺は右手の路地にはいった。この辺が一等地だと砂馬は言う。上玉の女が揃っているというわけだ。俺たちは、その日、金を持っていた。リャクでせしめた金である。

「いやな感じ」高見順(青空文庫)

末尾部(原文より)

(いやな感じ!)  俺の内部から不思議な笑いがこみあげてきた。 「あ、は、は、は」  笑いはとめどなくつづいて、とまらなかった。気が狂った笑いを俺は笑いつづけながら、穴のなかにころげ落ちた。  俺は自分のポケットに手を突っこんだ。お手玉の袋がどうした加減か破れていて、アズキがこぼれ散らばっている。そのアズキに混ったコハゼを、アズキと一緒に俺は、血でべとべとする手で握りしめながら、 「あ、は、は、は」  穴の底で笑いつづけるその俺の頭上に、首をぶらんぶらんさせた公の身体が落ちてきた。

「いやな感じ」高見順(青空文庫)

名文

暗い踏切の手前で円タクをとめた。旦那、お楽しみですねと若い運転手がにやにやしながら、釣り銭を出した。なに、言ってやがると砂馬慷一はその小ぜにをひったくるようにした。

高見順『いやな感じ』の書き出し。昭和初期のアナーキスト「俺」の一人称で、場末の魔窟へ向かう場面から、べらんめえ調の語りが始まる。

原文を読む

原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。

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