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人柱の話(南方熊楠)のあらすじ・登場人物

世界の人柱伝説を博捜する

南方熊楠 1925年(大正14年)9月 「変態心理」

文字数
13,752字
読了目安
約28分
表記
旧字旧仮名
種別
随筆

この作品について

南方熊楠が、建築や土木の工事を固めるために人を生き埋めにする「人柱」の風習を、世界各地の伝説を博捜して論じた民俗随筆。1925年(大正14年)「変態心理」に発表された。インドやビルマ、ヨーロッパから日本まで、橋・城・堤・池をめぐる無数の人柱伝説を引きながら、人柱と、罪人を壁に塗り込める刑罰との異同にまで説き及ぶ、南方の博識が横溢する一編である。

あらすじ

人柱を立てる習俗は今なお一部の民族に行なわれ、その伝説や古蹟は文明諸国にも数多い、と南方は説き起こす。インドでは砦や橋、池を築く際に娘や嬰児を生き埋めにした例が数知れず、ビルマでは城門の下に人を埋めて守護とし、堤を固めるために皇后を池に沈めたという。日本でも『源平盛衰記』の清盛が経の島を築くのに童を人柱にしたと伝え、各地に人柱の伝説が残る。南方はこれら東西の事例を博捜しながら、さらに人柱とは別に、罪人を壁のなかに塗り込め、頭だけ出して死を待たせるという残酷な刑罰がペルシアやフランスにあったことを紹介する。末尾では、鎌倉に多い「やぐら(谷倉・岩倉)」をめぐる語源をたどり、そこから人柱・石牢を早合点で結びつける俗説への注意にまで筆を及ぼす。

冒頭部(原文より)

 建築土工等を固めるため人柱を立てる事は今も或る蕃族に行なはれ其傳説や古蹟は文明諸國に少なからぬ。例せば印度の土蕃が現時も之を行なふ由時々新聞にみえ、ボムパスのサンタルパーガナス口碑集に王が婿の強きを忌んで、畜類を供えても水が湧かぬ涸池の中に乘馬のまゝ婿を立せると流石は勇士で、水が湧いても退かず、馬の膝迄きた、吾が膝まできた、脊迄きたと唄ひ乍ら、彌々水に沒した。其跡を追つて妻も亦其池に沈んだ話がある。

「人柱の話」南方熊楠(青空文庫)

末尾部(原文より)

 紀州東牟婁郡に矢倉明神の社多し。方言に山の嶮峻なるを倉といふ、諸莊に嶮峻の巖山に祭れる神を矢倉明神と稱すること多し。大抵は皆な巖の靈を祭れるにて別に社がない。矢倉のヤは伊波の約にて巖倉の義ならむとは紀伊續風土記八一の説だ。唐糸草紙に唐糸の前頼朝を刺んとして捕はれ石牢に入れられたとあれば、谷倉よりは岩倉の方が正義かも知れぬ。孰れにしても此ヤグラは櫓と同訓ながら別物だ。

「人柱の話」南方熊楠(青空文庫)

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