南方熊楠の生涯と代表作
知の大爆発
- 生没
- 1867–1941
- 出身
- 和歌山県
- Wikipedia
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略歴
1867年(慶応3年)、和歌山市に生まれる。若くしてアメリカ・イギリスに遊学し、大英博物館で東西の文献を渉猟した博物学者・民俗学者。粘菌の研究で世界的な業績を上げる一方、「十二支考」などで古今東西の説話・伝承を博引旁証する該博な学識を示した。帰郷後は熊野の森に分け入って粘菌を採集し、明治末には神社合祀による鎮守の森の破壊に猛反対して、日本における自然保護運動の先駆となった。1893年には「東洋の星座」がイギリスの科学誌「ネイチャー」に掲載され、その後も英語で多くの論考を発表した。柳田国男とは1911年から書簡を交わし、民俗の研究や神社合祀反対運動で協力した。二人には研究姿勢の違いもあり、その交流は単純な師弟関係ではない。「知の巨人」と称される。1941年(昭和16年)没。