大和路・信濃路(堀辰雄)のあらすじ・登場人物
古寺と雪の山をゆく旅のこころ
- 文字数
- 57,944字
- 読了目安
- 約1時間56分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 随筆
- 舞台
- 奈良県
- 長野県
この作品について
堀辰雄が戦時中に奈良と信濃を旅して書いた紀行・随想をまとめた作品。信濃の山村の寺で見た苔むした小さな石仏の思い出から説き起こす「樹下」に始まり、1941年(昭和16年)秋に奈良ホテルに滞在して古寺をめぐった日々を妻への手紙の形で綴る「十月」、冬の大和の古墳を訪ねる「古墳」、雪を待つ信濃の山小屋を訪ねる「斑雪」、木曾路の吹雪と春の大和を描く「辛夷の花」「浄瑠璃寺の春」、志賀高原の雪橇の旅を記す「橇の上にて」、京都での対話仕立ての「『死者の書』」が並ぶ。古代や王朝の物語を書こうと大和に通った作家の思索と、旅先の風物への繊細なまなざしとが重なり、唐招提寺や浄瑠璃寺、馬酔木の花といった情景が静かな筆致で描かれる。
あらすじ
「樹下」で堀は、かつて暮らした信濃の山村の寺の笹むらに、頬杖をついた形の苔むした石仏があり、村人が歯痛の神として拝んでいたことを思い出す。大和の古寺をめぐるようになってからも、中宮寺の半跏思惟像やガンダーラの樹下思惟像を見るたびに、その素朴な石仏が心に浮かぶのだった。「十月」は、一九四一年の秋、奈良ホテルに滞在して古寺をめぐった日々を、東京の妻に宛てた便りの形で綴る。唐招提寺、海竜王寺、秋篠寺、戒壇院、三月堂、斑鳩の里を歩きながら、王朝の物語を書く構想を練り、最後に近江の湖のほとりで、不幸な女が昔の男と再会する物語の結末を考える。「古墳」は「J兄」に宛てた手紙で、冬の大和の恭仁京址や飛鳥を歩き、かつて二人で訪ねた菖蒲池古墳から古代人の死生観と万葉の挽歌に思いをはせる。「斑雪」では、雪が降ったら知らせてほしいと頼んでおいた信濃の山小屋の友人夫妻を訪ねるが、着いたときには雪はほとんど消えていた。「辛夷の花」は、馬酔木の花を見に春の奈良へ向かう途中、木曾路で思いがけない吹雪に遭い、乗り合わせた客や妻が見たという山の辛夷の花を、自分だけが見逃してしまう話。「浄瑠璃寺の春」では、妻と山道を歩いて浄瑠璃寺にたどり着き、門のかたわらに咲く馬酔木や古い塔を見て、その夕べの春日の森で昼の自分たちを遠い日のように思い出す。「橇の上にて」は、志賀高原の雪のなかを幌橇で進みながら、八ヶ岳のサナトリウムで雪の山に憧れていた昔の自分を思う。最後の「『死者の書』」は、京都に住む友人と旅の客との対話の形をとり、折口信夫の小説『死者の書』に触れながら、古代を書くことの難しさや、旅びととして大和を歩きたいという願いが語られる。
冒頭部(原文より)
その藁屋根の古い寺の、木ぶかい墓地へゆく小径のかたわらに、一体の小さな苔蒸した石仏が、笹むらのなかに何かしおらしい姿で、ちらちらと木洩れ日に光って見えている。いずれ観音像かなにかだろうし、しおらしいなどとはもってのほかだが、――いかにもお粗末なもので、石仏といっても、ここいらにはざらにある脆い焼石、――顔も鼻のあたりが欠け、天衣などもすっかり磨滅し、そのうえ苔がほとんど半身を被ってしまっているのだ。右手を頬にあてて、頭を傾げているその姿がちょっとおもしろい。一種の思惟象とでもいうべき様式なのだろうが、そんなむずかしい言葉でその姿を言いあらわすのはすこしおかしい。もうすこし、何んといったらいいか、無心な姿勢だ。それを拝しながら過ぎる村人たちだって、彼等の日常生活のなかでどうかした工合でそういった姿勢をしていることもあるかも知れないような、親しい、なにげなさなのだ。……そんな笹むらのなかの何んでもない石仏だが、その村でひと夏を過ごしているうちに、いつかその石仏のあるあたりが、それまで一度もそういったものに心を寄せたことのない私にも、その村での散歩の愉しみのひとつになった。ときどきそこいらの路傍から採ってきたような可憐な草花が二つ三つその前に供えられてあることがある。村の子供らのいたずららしい。が、そんなのではない、もうすこしちゃんとした花が供えられ、お線香なども上がっていたことも、その夏のあいだに二三度あった。
「大和路・信濃路」堀辰雄(青空文庫)
末尾部(原文より)
主 いい身分だね。そうやって旅行ばかりしていられるなんて。 客 君なんぞにもそう見えるのかい。でも、僕はこんな弱虫だからね、不安な旅でない旅などをしたことはない。いつ、どこで、寝こむかも分からないような心細さで、旅に、出てくるのだよ。まあ、それなりにだんだん旅慣れてはきたけれど。…… 主 そうか。あんまり無理をするなよ。――ああ、もうすっかり暗くなってしまったね。すこし冷え冷えとしてきたようだから、窓をしめようね。
「大和路・信濃路」堀辰雄(青空文庫)
名文
この春、僕はまえから一種の憧れをもっていた馬酔木の花を大和路のいたるところで見ることができた。
堀辰雄『大和路・信濃路』の「浄瑠璃寺の春」(1943年)の書き出し。妻と訪ねた浄瑠璃寺の門のかたわらで、白い馬酔木の花に出会う。古寺を巡る旅の喜びを、やわらかな一文で開く。
いま、秋の日が一ぱい金堂や講堂にあたって、屋根瓦の上にも、丹の褪めかかった古い円柱にも、松の木の影が鮮やかに映っていた。それがたえず風にそよいでいる工合は、いうにいわれない爽やかさだ。此処こそは私達のギリシアだ
堀辰雄『大和路・信濃路』の「十月」より、唐招提寺の松林で妻に書く手紙の一節。秋の日と松の影が揺れる金堂を前に、ここが自分たちのギリシアだと言う。古代へのあこがれが澄んだ光とともに伝わる。
原文を読む
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