いのちの初夜(北条民雄)のあらすじ・登場人物
生命そのものになり切ること
- 心理
- 文字数
- 23,351字
- 読了目安
- 約47分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 東京都
この作品について
ハンセン病の宣告を受けた青年・尾田が療養所に入り、そこで過ごした最初の一夜を描く。川端康成に見出されて「文学界」に発表され、文学界賞を受けた北条民雄の代表作。「僕らは不死鳥です」——絶望の底で語られる佐柄木の言葉は、病者だけのものではない、生きることそのものへの問いとして響く。
あらすじ
駅から雑木林を二十分歩いて、尾田は病院の生垣にたどりつく。半年前に病気の宣告を受けて以来、木の枝を見れば自分の体重を支えられるかを目算し、薬局を通れば睡眠剤の名を思い出す——そんな日々を送ってきた二十三歳である。入所手続きを終えた彼を案内するのが、付添人の佐柄木だった。病棟に入った尾田が見たのは、顔かたちの崩れ落ちた重症患者たちの姿である。鼻を失い、目を失い、指を失いながら生きている人々。おそろしさに立ちすくむ尾田に、佐柄木は静かに語りかける。あの人たちは、もう人間ではありません、生命そのものなのだ、と。「僕らは不死鳥です。新しい思想、新しい眼を持つ時、全然癩者の生活を獲得する時、再び人間として生き復るのです」。その夜、尾田は眠れぬまま、包帯を巻いた重症者の呻きを聞き、自らも縄で首を吊る想像を繰り返す。佐柄木もまた、失明が確実に迫るなかで原稿を書きつづけていた。夜が明けるころ、二人は外へ出る。冷たい外気のなかで佐柄木は言った。「盲目になるのはわかりきっていても、尾田さん、やはり僕は書きますよ」。苦しむためには才能が要る、苦しみ得ないものもあるのだ、と。燦然たる太陽が林のかなたに現れ、光の縞目が梢を流れてゆく。佐柄木の世界へ到達できるかどうか、不安は色濃く残っていたが、やはり生きてみることだ——尾田は強くそう思いながら、光を眺めつづけた。
登場人物
- 尾田 ハンセン病の宣告を受け、療養所に入る二十三歳の青年
- 佐柄木 付添人。失明が迫るなかで小説を書きつづける
冒頭部(原文より)
駅を出て二十分ほども雑木林の中を歩くともう病院の生垣が見え始めるが、それでもその間には谷のように低まった処や、小高い山のだらだら坂などがあって人家らしいものは一軒も見当たらなかった。東京からわずか二十マイルそこそこの処であるが、奥山へはいったような静けさと、人里離れた気配があった。
「いのちの初夜」北条民雄(青空文庫)
末尾部(原文より)
「苦悩、それは死ぬまでつきまとって来るでしょう。でも誰かが言ったではありませんか、苦しむためには才能が要るって。苦しみ得ないものもあるのです」 そして佐柄木は一つ大きく呼吸すると、足どりまでも一歩一歩大地を踏みしめて行く、ゆるぎのない若々しさに満ちていた。 佐柄木の世界へ到達し得るかどうか、尾田にはまだ不安が色濃く残っていたが、やはり生きてみることだ、と強く思いながら、光の縞目を眺め続けた。
「いのちの初夜」北条民雄(青空文庫)
名文
人間ではありませんよ。生命です。生命そのもの、いのちそのものなんです。
療養所に入ったばかりの尾田に、先輩の佐柄木が語る言葉。人間としては亡びても生命そのものとして生きていくという思想が、ハンセン病文学の原点とされる本作の核心を示す。
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。